なぜフィリピンでは複数人に質問したほうがいいのか?

先日、miniHDMIという変わった規格のケーブルが欲しいということで、買い物同行した。

すっごい簡単なミッションなんだけど、『仕事上、今日中に絶対必要!来るプレゼンに使う!前回できなくって大恥かいた!』ということで
ケーブル一本でも万全を期したい方からの依頼だった。

アッサリ見つかるも「無い」の嵐

グロリエッタでアッサリ見つかった。「あ、これだ」10分で終わったw
店員に「miniHDMIこれだろ?パッケージには書いてないけど」というと「無い」という。

いやコレだろ!どう見ても!!と思うんだけど、同行している人は万全を期したいということで、購入見送りとなった。

そこから店舗を回るが見つからない。いや、正確には店員が「無い」というのである。有るのである!
miniHDMIというのは、最近のノートパソコン→HDMI出力なので、無い訳がないのである。
そもそもマニラのPCショップなんて、ケーブルばっかり売っているのである。

しかし、店員が「無い!」「違う!」といえば、一抹の不安が残る。そうしてウロウロすることになった。

結局、大手は諦めて、出店のような小さいショップに声をかけると「有る」という。
フィリピン特有の接続テストは出来なかったが、動かなかったら返品していいよ、ということで購入。500ペソであった。

結局のところ、そのケーブルはバッチリ稼働し、仕事で絶対使う!と息巻いていた方も笑顔でお礼を言ってくれたのであった。
良かった良かった。

 

実はこういう経験、初めてじゃないのである

マニラだけかも知れないが、実は店員に聞くと「無い!」「売ってない!」「空きがない!」「売り切れた!」などと言われることは良くある。
明らかに「いやいや有るだろ!!」という場合であっても、店員が突っぱねることが、マニラではありうる。

ここで「あれ?ボクの英語が通じなかったかなぁ・・・」なんて思って、一生懸命説明したり、翻訳アプリを使ったりして努力している人がいるけど
それは無駄である。

店員は『接客するのが面倒だから無いと断言しているだけである!!!』

あれだけヒマそうなのに、何故接客に手を抜くのか。簡単だ。優しく説明したとしても給与は上がらないからだ。
だったら売る必要ないよね?売ってクレームになったら自分の責任になるのである。だったら全部「無い!」「対応してない!」「ヨソに行け!」と言った方がいい。
まことに理に適っている。この理屈を覚えておくと、フィリピン生活は捗ると考えたほうが、あなたの人生に無駄が無くなるだろう。
別にあなたの言葉が通じていないわけじゃない。単に手を抜いているだけなのだ。

 

特にホテルは酷い

あなたがマニラのホテルに行ったとする。
予約は無いけど、車を運転したくない。多少酔ってるし明日は休みだ。もう1500ペソほどの適当なホテルに行って、シャワー浴びて寝てしまえ。
こんなシーンは普通にあり得ることだろう。

ところがマニラのホテルは「満室だ」というのである。とりあえず、来た客はみんな満室だと言ってるんじゃねぇか?と思うほど、この答えが多い。
何故か?客が止まるほどに仕事が増えるからである。

マニラのホテルマンの理想とは、一日ひとりも客が来ないけど給与は口座に入ってくる状態だ。
安ホテルにとって、つまり客というのはゴキブリのようなものである。

本来、ホテルレート客というのは上客だ。予約サイトの倍の値段を現金で払うんだから、オイシイ客のハズである。
だが追い返す。むしろ追い返す。とどのつまり追い返す。外人だろうがなんだろうが関係ない。2000ペソ級のスリースターホテルは、飛び込みは追い返される前提で
考えたほうがいいんじゃないかと思っている。

さすがに名前を出すことは差し控えるけど、リトルトーキョー至近の待ち合わせスポット「ユーロテル」は酷い。(ビーコンの向かえである)
エアコンが効いてて座っていられるので、待ち合わせに持ってこいの場所だ。あそこで相手が遅れてきたら、カウンターを観察してほしい。
とりあえず満室と言っている。そこから食い下がらないとチェックイン出来ないのだ。
リーズナブルで場所もいい!19$!なんて思っていた哀れな白人らが、満室だと言われて右往左往している姿を、存分に眺めることができる。

試しに「予約している」と言ってみると(本当は予約してない)空きはあるという。どういうことか。これは説明がいる。
予約してないんだけど予約しているという前提で話をして、ちょっとスマホの調子がおかしいんだけど現金で払えるか?ということを言うと空き室は出てくるのである。

いやーーーー・・・一応ホテルでしょ?スリースターでしょ?そんな運用するかね?と、わたしを否定する人もいるだろう。
じゃあ本当に予約している人がワリを食って泊れなくなる可能性もでてくるよね?そんなことしたら。ということだ。その通りである。
わたしにツッコミを入れるひとは、全く間違っていない。おっしゃる通りである。

じゃあ本当に予約している人が満室状態で到着した場合どうなるのかというと、「満室だ」と言われて泊まれないのである。(これは酷い)

わたしは、たった一度だけこの経験をしたことがあるけど本気で怒った。ホテルと客との間で、予約というのは一種神聖なものである。
マニラについた初日、NAIAでひと眠りする計算で取ったホテルで、雨季で雨で、到着は深夜だった。黙って寝かせてくれという状況だった。
ブッキングドットコムで取っていたのでホテル側の都合も分かるけど、そこからフィリピン流のゴダゴダがあって、もうウンザリしてしまった。

そのホテルはNAIA-EDSAの道沿いにあったので、通る度に私は呪いの言葉を吐き続けた。あの日泊まれなかった恨みは忘れない。
ことあるごとに「このホテルは予約を無視する」と、身近な日本人に悪評を伝授し続け、それでも物足りず、いまだに私は通る度に「よくも俺を追い返してくれたな!」と呪詛を吐いているのである。

いつまでたっても慣れないのがこの手の話

マニラでは、セキュリティに道を聞いて、その通りにしてまた道に迷うということが多い。
他のことも同様だ。信じてしまうのである。対面で説明された内容というのは、ネットなんかよりよほど真実性がある。右と言われたら右に行くだろう。

試しにNAIA3でトイレはどこかと聞いてみればいい。全員、ハンを押したように一番ハジのセキュリティレーンを言うだろう。そこで検査を受けて、二階のトイレでションベンしろと言う。
バカなことを言ってはいけない。

白タクレーン脇側道に、空港入場しなくてもいい男女トイレはシッカリあるのである!これは知識として覚えておいたほうがいい。

でもそれは言わない。保安検査が無いからだ。
外人がションベンの限界突破をしている状態であったも、NAIAの職員はハジのセキュリティレーンの最後尾に並んで保安検査を受けろという。トイレ!と絶叫しても同じだ。
なぜなら、彼らは入場出場のセキュリティだから、トイレはどこかと聞かれたら空港内のトイレを案内するのだ。

ああ、誰が言ったか、ホスピタリティ溢れる南国の楽園云々?

そもそもNAIA3は日本が建てたんだけど、99%完成した状態で、ああだこうだと言いがかりをつけ開港せず、ほったらかしにして屋根が落ちたという歴史すらある。
本来日本国籍なら、NAIA3の税金タダであっても望外の請求では無かろう。私たちのお金で建てたんだから!と愚痴のひとつも言う権利はあるだろう。
不案内、不親切である。フィリピンというのはそういうところである。これは「慣れたくない」慣習でもある。

マニラで暮らしていくに当たって、まず真っ先にアンテナを張るべきところは、当事者の手抜きを見破ることにある。
これは入管でもBIRでも全部そうだ。民間のホテルでさえそうなんだから。軽く往なして作戦を組み立てるのが正解なのだ。あなたの語学力じゃない!
手抜き職員は官も民もいる。民もいるというのは、おそらく驚きだろうけど現実そうである。

これをカワすには、親切なヤツと当たるしかない。フィリピンでは経験やコネが強みを発揮するというのは本当である。

しかし!しかしである。

こんな眼力。こんなコネなんか要らないという俺がいる。

不器用にマニラで生きるというのは苦労もあるけど、日本人ならどこかで線を引くことがある。
MMDAの賄賂なんてなんの痛痒もないけども、BIRのディスカウントや、マカティ市税なんかは、日本人は戦ってきた歴史がある。
払う会社があるから、いつまでたってもマニラになっちゃう。

 

長すぎる余談でも書こうかな

さて。今日もアルコールの毒が回ってきたので、この辺で終わりとしよう。
土台私は、酒を呑んでないとブログの一つも書けないのである。これまで何千という記事を書いてきたけど、一度もシラフで書いたことが無い。
私のファンは知っているだろうけど、これは全部酔って書いたものである。
酔って書いたものだから、という免罪符があるのである。それは実際そうだ。私はビール一リットル以上吞まないと、まず執筆しないからだ。
シラフで真面目に画面と向き合って書いた記事は、ひとつもない。
割と褒められた「フィリピンの共通語の話」の記事だって、最後はひっくりかえって寝てしまった程度の話である。

 

わたしは、ずっと酒を呑みながら酔っ払いブログを書いていくだろう。こんな記事、シラフで書いたら狂人であると思っている。
酒という免罪符があるからこそ、私は表現の自由を行使できているわけだ。ケ・セラセラ。オブラディ・オブラダである。
好きなヤツなら読めばいい。そして読んでみて、ああまた酔っ払いがバカなこと言ってるな。と言う感想程度が、私の器を満たす程度でちょうどいいのである。

わたしのブログは、やはり書き散らすという表現がぴったりなのである。非公開記事は三倍もある。何十万行の記事は、誰にも公開されずにいる。
だからわたしは恥をかかずに、なんとかマニラの日本人社会の片隅に、おそれながらと愛想笑いをしながら、存在価値を見出されている気がするのだ。

それでも「ベテラン勢」の顔色を気にして、ビクビクと削除するもんだから、へんに希少価値があがっているのである。これは本望ではない。
商業出版なんて話も数回出ているけど、とんでもない話である。このブログに一遍の価値があると思う人間は、私と同罪のフィリピンかぶれだけである。

ほとんどの日本人読者は、わたしの書き散らした文の毒気に当たり、ああ、こういう人もいるのだと独り言ちて、一切無かったかのようにフタをするものであろう。
それをしないほうが愚かである。

じゃあもし一体、商用出版してしまえば、わたしは作家然として図に乗り、在住者にサインでもしてその気になるであろう。
そんな醜態を晒すわけにはいかないのである。

もし売れなかったらどうするか。マニラ在住者は、こぞって私を遡上に上げ、やあやあ、あの文士きどりはマニラに入れなくなったんじゃないか?と、
たちまち評判になる。私がブログごと削除するのは数えきれないが、また同じことを繰り返すのであろう。

それこそ噂の一遍でも耳に入ったら、煽り耐性の無い私は、もう目に見えない敵に、むやみに刀を振り回すしかないのである。

 

 

 

今回わたしの熱心はファンは、大手出版社に紹介まで段取りをしてくれたのであるが、編集者とやり取りするという現実となると、
あまりに手触りがありすぎるので、わたしは途端に小心者となってしまったのであった。

商業出版というのはわたしにとって甘い蜜のようなものなので(誰だって、自分の書いた文がカネになって作家きどりとなれば奮起するだろう)
プロの作家のエッセイ等を読み、ああこう書けば良いのか、こういう表現があるのか、等と、それこそ一文にもならぬことを独り言ちているのであった。

 

とにかく今言えることは、今日もまた酔っ払いブログを書けて満足だということだ。