今日も交通管理官に捕まった話 (フィリピンの交通違反)

自慢にもならんけど、この一年も、よく捕まったのである。

この一年。数えてみると、

1.レッカー移動された
2.バスレーン侵入
3.車線指定区分違反
4.信号無視

一年で四回も捕まってしまっているのである。
日本の交通違反体験談なら書く必要ないけど、フィリピンのことを書いている人はあまりいない。まぁそれはそうだろう。書く理由がひとつもないからだ。
フィリピン系アカウントは山ほどあるけど、この手の体験談はゼロに近いんじゃないかと思う。

一度は体験するはずだし、強く印象にも残ると思うんだけど、やっぱり公にしにくいわな。
こういう情報は中韓コミュニティでは沢山共有されているけど日本人社会はゼロに近い。
じゃあ私が書いてしまおうなのである。

読者の反応は期待していないけど、需要があると思うので、一度書いておきたいと思う。

1.レッカー移動

普通、フィリピンに住んでいてレッカー移動されることはない。路上駐車天国のフィリピンでは、レッカー移動されることは、ほぼゼロである。
にも関わらず、わたしは年末にレッカー移動された。どれほど運がないのだろうか。

交差点の角に止めたのがまずかった。前には車もおらず、レッカー車が活動しやすい場所だった。レッカー移動を邪魔するブロックも置いていなかった。
バランガイの兄貴にも声をかけてなかった。なにより、これまで何回も「成功」している場所だった。私の指定駐車場だったのである。
私は夜に酒を飲んでウヒョーと遊び、そのまま夜に駐車して、朝くるまに行ったら車が無かったwバーカバーカ。

いやもうこれは相当焦るのである。焦っていいのである!
どんなに安い車だって、フィリピンでは価値がある。なんせゴミみたいなクルマでも20万円くらいの値段が付く社会だ。車というだけで盗まれる理由がある。
なにしろマニラなんてところは、車の盗難なんて日常茶飯事の土地。だからまず第一感として「オッ盗まれたな」とだけ思った。

フィリピンでは様々なことが日常的に起こるので、「ああ、盗まれたな。どうしようかな」位にしか思わなかった。
起こってしまったことはしょうがないな、位で、ワリと冷静だった。こっちにずっといると、トラブルに対して鈍感になる。

それにしても困ったので、未練がましくチョロチョロと周辺をさぐった。
すると草むらに、紙がある。なにこれ。「レッカーしました」と書いてある。おお。おおおう。ワイの書類なのであった。
ふざけんなありがとうなのである。
チョークではない。フィリピンのレッカー移動とは紙なのであった。なるほど車がなくなったら、まず草むらに手がかりがある場合があるのだ。

風で飛んでいったら終わりだろこれ!いい加減にしろボゲ!これだから発展途上国は!なんて毒づいたけど、正直ホッとした。
なにしろ役所の紙がある以上、車は担保されたのである。(なおこの紙がないと手続きが進まないことも知った。重要である)
フィリピンで車がなくなったら、まず辺りを探し回り、この紙がないか!と探し回ることが大事なのだということを知った。

ほんとうに置いてあるだけだったので、風で他人の家の塀を超えたら一大事である。石を置いてくれるような配慮もなく、レッカー移動した場所に紙ペラ一枚置いて終わりなのがマニラ流なのであった。こんなん事前に情報が無ければ、まず100%盗まれたと思うであろう。うまく見つけることが出来て幸運だった。

車が無くなったら周辺の紙ペラを探せ!これは真理である。

 

 

というわけで、とりま紙が合って良かった。下手すると事態を把握するまで、「良くて数日」」かかったところであった。

紙によると、早朝にレッカーしたと書いてある。ホホゥ・・・
レッカー移動とは、朝っぱらに行い、午前に場所に納め、午後に手続きをするというのが役所のルールなのではないかというのが第一感である。
(過去にレッカーされたドライバーの証言とも一致するのである)
そんではじめて知ったんだけど、レッカーというのは、PNPでもMMDAでもなく、LTOでもなくって市役所がやっていることなのであった。

ちょうど市役所までは徒歩1分の場所である。ひとまず役所にいくことにした。
どの窓口なのか全然わかんないんだけど、それらしき窓口を見つけたので、レッカー移動された紙を見せた。

窓口のねぇちゃんは、昼飯をモグモグしながら「あーーTOWね。じゃ、ORとCRと免許のコピー持って来て」と、のたまう。
アホか。そんなもん車のダッシュボードに入ってるだろ、というと、車の場所を教えてくれた。何のことは無い、これまた3分くらいの場所である。

レッカー駐車場に行くと、これまたスゴイ光景が広がっていた。「レッカー移動されたまんま、誰も引き取りに来ない車」が、バァーーーー・・・っと並んでいるのである。
いつの時代のだ?というようなトヨタカローラタクシーやらの亡骸が”積んで”あるのだった。壮大な土地の無駄だ。
マニラのドドドドド真ん中にバカでっかいレッカー場があって、ゴミみたいなクルマの残骸が、延々と並んでいるのであった。
誰も引き取りに来ない車の歴史が、見たまんまに風景となっている。文学的に言えば、村上春樹の1973年のピンボールみたいな光景である。これだけでレッカー移動された甲斐があった。

(ってゆーか、もしかしてマニラでレッカーされる車って、この土地周辺の車両だけなんじゃ?レッカー車の台数からしても、そうとしか考えられないんですけどお?)
等と賢く裏を読む日本人は地獄に落ちるであろう。

まー個人の感想としては、「だからマンダルヨン、マカティ、一部サヌアンやケソンしかレッカーされないんじゃ?」と思うに充分な感じであった。
だってNCRのレッカー場なんて、俺だって初めて聞いた。情報ゼロである。レッカーの脅しはたくさんあるけど、じゃあガチでTOWされたあとどうなんの?といったら、果たしてこんな結果なのであった。

 

まあそれはいい。とりまそのへんの兄ちゃんに紙を見せると、わいの車はあった。信じられないことに、小銭も含めて何もされていなかった。
ダッシュボードから書類を取って、そのへんのゼロックスでコピーを取り、役所に戻って紙を見せると、罰金(たしか2000ペソくらいだった)の振り込み用紙を貰った。
いわゆるカネドブなのであるが、誰だってこのカネを払わない選択肢は無いだろう。粛々と進めるだけである。
その用紙を、役所の会計に持って行って支払い、支払った証書を持って、また同じ窓口に戻ると、開放してええよという書類を貰えた。

さらにそれをもって、さっきの駐車場まで行く。なんか金銭を要求されるだろうと思って身構えていたら、係の兄ちゃんがボルテスVのTシャツを着ていたので、オオーボルテスVだな!俺は日本で大ファンなんだ!等と適当なことを言って話を逸らしていたら、ボーイが勝手にゲートを開けてくれた。長居は無用ということで突破である。
軽く半日以上潰れたんだけど、別に大したことではない。経験値も貯まったのである。
それより年末だったので、予定が狂ってしまったほうが後始末としては大変だった。精神的にも疲れた。

ま、一体この処理が、違反になったのかどうか知らないけど、これが年末の「違反」であった。
にしてもこれ、LTOやMMDAやPNPに情報が回るんだろうか?
結局、市役所が「邪魔だからどけた」という書類しかないし、なにもサインせず、カネだけ払ってオシマイだったんだが・・・

2.バスレーン侵入

これはわたしがやった違反ではない。
「お、忘れ物したわ」「ん?」「ちょっと取り入ってくるわ」「さよか」「くるま貸して」「ええよ」と車を貸したら、運転者がバスレーンに入ってしまったらしく、アヤラのアソコで捕まったらしい。もしかしたら俺の履歴になんか付いてるかも知れないんだけど、そんなことは気にしないのである。こんなことを気にしていたらフィリピンどころか海外に住めないだろう。
「捕まったわー」で終わりなのであった。

 

3.車線指定区分違反

これが一番きつかった。あまりに真っ昼間であり、いろいろ誤魔化せなかったからである。同乗者もいたし、ワイに不利なのであった。
ケソンから南に行くエドサでは、二車線右折、一車線直進という一部変則的な道(LTO本局のとこである)があり、そこにMMDAがウジャウジャいるという場所があるんだけど、案の定捕まった。そんなもん分かっていても渋滞で車線変更できないのである。

これは本当に反省しているんだけども、彼らに対してまともに相手してしまったのである。まぁ昼だったし時間もあったしねぇ・・・まともに相手したのははじめてであった。
ワリとガチで捕まったというのは、複数の官憲が寄ってきたということだ。

マニラで捕まった際というのは、捕まった事実を知った人間が何人いるかということでお金のかかり方が違う。
Yロウが500としたら、ふたり知ったら1000,10人しったら500x10になるのである。そして人が増えすぎると、Yロウを渡せなくなる。正義マンになってしまうからだ。
どんな場面でもそうだけど、Yロウとは人数が少ない時点で効果的に渡すのが大事だ。
多く渡すのは損だが、交渉事になってはいけない。少し多めというのが一番いい。それは昔から500と相場が決まっている。多くてもいけない。少なくてもいけない。

田舎では100!ラグーナでは300!カビテでは200!なんつう人もいるけど、それは私分かって書いているのでそのつもりで読み進めてほしい。

話を戻そう。
今回は真昼間で、人も集まっているのでYロウは止めた。いきなり下手なことはしないほうがいい。まず書類を全部見せてみた。そもそも不備はないのだ。我ながら完璧なハズなのである。
フフフ・・・と思っていたら、「免許更新時のレシートあるか?」と言われた。あるに決まってるだろと思ったら無い。oh…家にある。
(フィリピンの道交法では、免許とレシートはセットで持ち歩かないといけない。これはちゃんと法律で決まっているのだ)
うまい具合に、私が所持していたのは、デザイン変更されたばかりの新型免許なのであった。だからこの話はそれで終わった。ウヤムヤである。ヨシ!

次に言われたのが、「なんでお前の車にはナンバープレートがないのだ!」ということである。

—うーむ。お気づきになりましたか。よくぞそこに気づいたなと褒めてやりたい。
これまでマニラ近郊を散々駆け抜けてきた私だけど、指摘されたのはもちろん初めてである。

そんなこと言ったって・・・だってなんだか、だってだってなんだもーん!と言ってたら、これまたウヤムヤになった。OKになってしまったのである。ヨシ!
—為せば成るのである。上杉鷹山先生の教えは、ここマニラという異国の地で、しっかりと実学として大成したのであった。

財布を開けたり閉めたりしていたら、「うむ!じゃあしょうがないな!」ということで終わったのである。ホントかよ!ではない。ホントなのである。
だって書類にはナンバープレート「N/A」って書いてあるんだもん。—しょうがないのである!!公務員の判断にクチを出す権利はフィリピン人にしかないのである。
私は残念ながら外国人なので、「こんな社会はよくないのだが・・・」と唇を嚙みしめざるを得ないのである。内政不干渉なのであった。ヨシ!
じゃあこれでワイは・・・と思ったら、そうはいかないのであった。

さらに波乱が起こる。よーく見ると車検証には、発行されるであろうナンバープレート番号が記載されていると指摘されたのである。—なぬ?
そんなことはない!と読み返してみたら、記載されていたのであるwあれ?w

ちょうど捕まったのがLTO本局近くだったので「じゃあ今からLTO行って受け取りに行くわ」という話になり、そうしたらやたら親切に道を教えてくれて、ああだこうだと話している間に交通違反の話自体がウヤムヤになってきたので、

「ありがと!じゃあ今から行くわ!あ、これ昼飯でも食べて!」と黄色い紙を渡したらそれでオシマイであった。

なお、この後本当にLTOに行った結果、ナンバープレートは行方不明になっちゃったことが判明。PNPで書類を作るという話になったのでさすがにアホらしくなり、LTO担当者の受付印だけ貰って帰ってきた。

4.信号無視

今日のことなのであるw
マカティからパサイの道には大きく2通りある。エドサを通る道は捕まりやすいので、普段は通らない道なのであるが、毎回迂回するのも変化がないのでエドサを行ったら、無事捕まったのである。場所は悪名高きバクララン交差点を過ぎた、日本大使館付近のミチュビチモータースんとこであった。
あそこの交差点は、みなさんご存じのとおり馬鹿でかい。ヘリテージ逆車線から左折すると、青信号でも車が詰まって交差点で止まってしまうのだ。(断っておくが侵入時青信号である)
充分青信号状態なら、だれでも交差点に進入するだろう。しかし、交差点が満杯に詰まっているので曲がれないのである。罠なのである。
知っていながら進入し、まんまと捕まったのであった。

あんまり何回も捕まるから、今日はもう、先人の知恵とこれまでの経験を駆使することにした。同行者もいなかったので、自分のやりかたでやれた。

先人の知恵1「捕まっても堂々としていろ、3分窓は開けるな」である。官憲がドアをコンコンしても何しても、ガン無視である。
いざやってみると、わりと出来ないことであるので、私はテキトーに手荷物をガサゴソして3分稼いだことを書いておきたい。(これは止めた側にしてみると、銃を準備していると思うらしい。そんなわけあるかと思うんだけど、やってみるもんだ。効果はある(と思いたい))

先人の知恵2「ほんの少し窓を開け、免許とxを同時に差し出せ」これは実際やっている人が多い。ハタから見るとカッコイイのである。が、私はこれまでやったことがなかった。
なぜなら免許ホルダー(ビニールで出来たショボイ入れ物。LTOのマークが印刷してある)を持っていなかったからである。あのビニール製の、LTOのロゴが入っている二つ折りの入れ物にxを挟んで渡すのが鉄板らしい。免許を確認するフリをして、xを受け渡ししやすいからだという。

つまり免許ホルダーがあるとYロウを渡しやすい。これは常識なのだという。しかし私は持っていなかったので、そのまんま黄色い紙と免許を渡した。細かいことはいいのである。

果たして官憲は、免許の下にある500ナントカをスルドク関知した上で、言葉が英語になった。(フィリピンの免許には国籍欄があるので、外人はすぐにばれる。バレたほうが都合がいいのだ)

「これはなんだ!(wat is this!)」怒鳴ってるwめっちゃ怒っているのである。
「このカネはなんだ!!(wat is this t…)」怒鳴ってる!!w これは想定内なのである。当然無視である。

英語に切り替わった時点で勝負アリなのである。本当に怒っている比人は、絶対タガログが出る。
これに限らないけど、Yロウ関係については、比人は絶対に最初は建前を言って突っぱねる。
(この手のことは単純に、理屈抜きで女性は不利で、男性は有利なので、もしもあなたが女性なら、なるべく男性にやってもらったほうが良い)

エンフォーサーが怒鳴るには理由がある。エドサの。日本大使館ンとこの交差点なんて、手元までズームできちゃう監視カメラがアホほどある。
あからさまに賄賂というのはクビが飛ぶのである。手渡した私が処罰されるわけがない。職を失うのはお前だ。そう思えば渡すのも軽いのである。
相手が突き返してくるのは分かっている。突き返した証拠を作りたいからだ。しかし絶対免許だけ返してくるハズ・・・!

交渉抜きの500。多いのである。やはり吉とでた。(毎回そうなんだけど)
500というのは、一番の誘惑なのだ。これが1000だとかえって疑われるし、もっともっと、となる。
やはり500こそ至上なのだ。

・・・吉と出たのはいいんだけど、余計なことに、エンフォーサーはよっぽど嬉しかったのか、窓を開けろと言い出した。
握手をしたい!お前は最高だ!ハンドシェイク!等と必死に窓を叩いている。なぜYロウを渡した直後に、がっちり握手しなけりゃならないんだろうか・・・

ねぇ。もう少しコソコソしよ?
—もしかしてアホなのか?いやアホなんだろうということで、わたしは免許を奪い返すとサッサと窓を閉め、車を発進させたのであった。

 

学んだ教訓として、窓をちょっと開けて免許を出し、受け答えには応じないという姿勢が、やはり一番良いことに気づいた。
窓をちょっと開けて免許出すというのはアメリカ式だというけれど、フィリピンでも通じることを学んだのである。
捕まって「ハイすいません」と窓を全開にして、書類出して大騒ぎというのは、一番馬鹿なことだということを改めて知った。

考えてみると、銃やナイフが出てくる世界では、車を止めるというのは、止める側にもリスクがある。止める側も死にたくないので、バイクばっかり検問して、車両は止めないのがフィリピン流だ。(そもそも止める場所がない)

だいたいにおいて、書類が揃っていれば、面倒くさいことはないのだから堂々とできるのである。彼らにしてみると、朝から晩まで車を止めている人々なんだから、紙のスキが無ければ、あとはxの話にしかならない。

フィリピンで生きる上での鉄則として、捕まった初期においては外人は無敵であり、逆に裁判となれば必ず負けるという法則がある。ファーストコンタクトにおいては圧倒的に有利なのだ。
外人は上お得意様のボーナスタイムなんだから、その流れに乗ってしまえばおかしなことにはならない。

だからORよりCRである。あとは多めのYロウである。1000はあり得ない。本来500もあり得ないが、外人としては500が一番いい気もする。それも100P札ではいけない。
やはり黄色い紙がインパクトがある。ズバリ日当分の額である。余計な仲間が来る前に、話し相手に500を渡せば500x1=500ということになる。
当然お釣りがない世界なので、ここで500を持っていないと1000渡すハメになる。ので、免許と500はセットにしたほうがいいと思う。
結果、今日は1分で開放された。最短記録である。

 

結論

黄色い500はお守りとして免許とセットで一枚挟んでおくべし。

 

この手のことで違反履歴はどうなるのか

毎年こんな調子なのである。三か月に一度位、こういったことがあるんだけども、私は違反歴ゼロである。
別に軽微な違反歴など、ついても良いと思っているのであるが、これまで一度も正式な書類となったことはない。

わたしは日本の警察に海外運転履歴証明を提出する必要があったので取り寄せたんだけど、見事に真っ白であった。無事故無違反である。
過去、数えきれないほど捕まったハズなんだけど、一度も書類が回っていなかったのである。おそらく今年もそうだろう。
別に誇ることもないし、ラッキーとも思わない。何故なら私の政府ではないからだ。自分の国でない以上、その制度についてああだこうだと言うつもりはない。
取り締まりを上手に切り抜けられた!俺スゴイ!というのは最初はあったけど、今はそう思わない。なぜか?だって彼らは切符を書くのを凄く嫌がるからだ。
捕まえた相手がフィリピン人なら切符を切るけど、外人についてはMay I help you?しか言わないヤツも多い。っていうか全部そうである。
それに私は、外国公務員がいくら汚職しようが何らの痛痒も感じない。自分の国ではない以上、どうしようもないからだ。

そもそも、切符を切れよ!書類書けよ!と言ってもガンとして書かないヤツすらいる。
「免許没収な!」「手続きが済んだら返却されるけど、取りに行くのも交通費かかるね!」等と、毎回同じセリフを言って不安がらせる官憲が多いけど、別にフィリピンの免許なんて極端なことを言えばどうでもいい。私たち外人にとって、免許はステータスでしかないし、罰金払ったら返ってくるなら払ってもいい。なんならLTOに話つけて、再発行してもらえばいい。日本の免許ではない。じゃあ没収しろよ!と言うと、カードをチラチラさせて、結局何度もMay I help you?となるのが現実である。この漫才に付き合う必要があるんだろうか?

だから!窓を少し開けて、黄色い紙と免許をセットにして、ちょっと押し問答をするというのが最適解なのだ。これなら1分以内に開放される。おそらく、このやり方がマニラで交通違反で止められたときの最適解だろう。(上記には書いてないけど、このやりかたをしたときは、下手すると無料で開放された経験も多い。

この記事を読んで、不快感を感じた人もいるだろう。
コンプライアンスガン無視。法の支配なんだっけ?というような記事である。わたしはあなたに向けて記事を書いていないんだから当然だ。
この記事は、特にマニラで生活している人に、「こういう経験をした人もいるんだな」という日本語記事を紹介しているに過ぎない。一般的に受け入れられる内容ではないだろう。

しかしながら、マニラで生活している人というのは、毎週厄災がシャワーのように降りかかっているものなのだ。この程度のことなど、振り払っていかないと、とてもフィリピン生活なんて長続きしないだろう。それよりもマニラで生きる上のライフハックをひとつでも覚えたほうがいいと思うんだけどどうだろうか。

 

 

 

※Yロウというのはドラえもんに出てきた秘密道具のことです
※本記事はフィクションです