日比:交通取り締まり価値観の違い

 

BUOの余りと野菜炒めを食いながらサンミゲルライトを吞んでおります。

さて。今日は日比:交通取り締まり価値観の違いについて書いてみたい。以前も何度か書いたんだけど、まーた似たような事件があったので。

 

交通違反の見逃しが称賛されるナゾ

これは本当に価値観が違うとしか言いようがない。何故そういうことになるのか?

以前、本ブログで書いたような気がするんだが。「学校の先生が、ノーヘルで運転していたのを取り締まった係が国内で猛バッシングを受けた」ことがあった。

いや。係が正しいだろ……(笑) 先生なら、尚更取り締まれよ。子供の模範だろうがよ。子供が真似するじゃねーか。

ほんで。まーーーた最近似たような事件が起こったのだ。

ノーヘル・無免許・三人乗りを見逃して絶賛される!

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(実際の写真)

バイクは三人乗り。ふたりはヘルメットをしていたが一人はノーヘル。しかも無免許。日本だったら悪質違反者として逮捕モノである。盗難車じゃねーのかマジで……

取り締まったのはイロイロ市のエンフォーサー(交通監視員)とLTO(陸運局)のようだ。(※注:『イロイロ』という名前の市があります。日本語ではない)

まー。フィリピンの田舎なんて、ノーヘルで子供がバイク運転していることも良くある話なんだけど、一応法律違反ということで、時々取り締まっているわけだ。当たり前の話である。

で。

この捕まった三人。クチが聞けずに手話でのやり取りだったそうだ。ふーん。

……だから? ナニ? 違反と関係ねーだろ。クチきけねえって言っても、今どきスマホだってあるしな。

しかもコイツラ。運転免許も、身体障害者手帳(PWDカード)も全員持っていなかったという。詐病じゃねーのか……なんの書類も出せなかったそうだ。ってことはOR/CR(日本でいう車検証)も無いってこった。

で。

『それを哀れに思って違反切符は切りませんでした!』 と、現地のLTOはわざわざ発表したのだ。

「LTOは思いやりを示した」そうだ。

そして、フィリピン中「おお! イロイロのLTOは分かってる!」と、好意的に報道されているのだ。

おかしいだろ……

こんなことしているから、フィリピンはちっとも良くならないのだ。これを「おかしい」と思えない社会が異常だよ。じゃあ、何の為の法律なんだよ。

へー。じゃあなにか。フィリピンでは、身振り手振りだったら、無免で3人乗りして書類が無くっても見逃されていいってことになるじゃねーか。

へー! 今後は俺もそうしようかな? だってそうすりゃいいんだろ?!

さらにおかしいのは、マスコミが美談として伝えていることだ

国を代表するような英字紙が「思いやりを示したLTO」なんて言っている時点で、社会として終わっているような気がする。どんな提灯記事だよソレ。

「例えPWD(障碍者)であっても秩序を守るのが仕事」という記事を書いてくれないと困る。交通違反の見逃しが美談になる社会は間違っていると思うんだが。

容赦なく違反切符を切り、その場でバイクを没収するのが正常な社会だろう。そうでなきゃおかしいのだ。

この三人は、大げさに言えば犯罪者である。しかも言い逃れのできない現行犯。それを、「身体障害者に見えたから見逃した」と言っているのだ。だから一体なんなのと。問いたい。問い詰めたい。

交通取り締まりって、何の為にあるのか。それは悪質運転手は運転できないようにする。交通社会から排除するという意味がある。けっこう社会的意義のあることなのだ。
だって一般人に迷惑がかかるから。ガキをひき殺したりしてからでは遅いから、ヤバイヤツは運転させないってことになってる。これは世界的ルールだ。誰だって轢かれて死にたくないからな。

そのへんの話が、フィリピンでは非常に曖昧なのだ。

何故こうなるのかっつうと、フィリピン社会って、ある意味キリスト教原理主義みたいな考え方があって、弱者に手を差し伸べることは常に正しい行為のように受け止められることが多い。
フィリピンは、『権力を持った人間が弱者をイジメる』という社会構造が延々とあるので、権力が弱者に対して思いやりを示したりすることは正しいこと、立派な事だと受け止められがちなのである。

前回の「学校の先生事件」もそうだ。比の学校の先生っつうのは安月給もいいところだが、尊敬はされているという職業である。だから『ノーヘルくらい見逃せ!先生をイジメるな!』ということになる。

今回もそうだ。報道を見る限り、我々外国人の目からしたら、ただの悪質運転手である。

バイクの書類もない。免許もない。身体障害者手帳もない。三人乗りでノーヘルでした。でも ろうあ者(に見えるヒト) だから見逃してください。弱者だから許してください。

これがフィリピンでは通るのだ。通るどころか、正しいことをした善人になるのである。

「ハイ分かりました。見逃します。見逃した俺ら、心広い。イロイロLTO心広いウエーイ。 これ美談じゃね? 許した俺ら、愛に溢れてんだろマジで。アッそうだ、マスコミに宣伝してもらおww」

———どうしてそうなるのか。そうはならんやろ!

見逃すなよ! 捕まえて罰金を払わせろ。免許が無いなら運転させるな。それはフィリピンだけではなく、世界全体のルールじゃないの?

 

まとめ

よく、フィリピンの平均年齢は20代と若く~成長率限りなしみたいなことを、フィリピンのことなーーんも分かってない国際人が言っているけど。国民が若いってのは、良いことばかりじゃない。悪い事もあるのだ。それってつまり、熟慮して指導する立場。年配の、40代50代のベテラン勢が少ないとも言える。つまり社会を動かしていく人材も若いヒトが担っているってことで、つまり未熟な人間が多いということだ。おそらくこういった「美談」は、今後も続くことになるだろう。オッサンやオバサンって、実は社会にとって不可欠なのだ。

あと。これを言ったらなんにもならないんだけど、フィリピンは日本ほど法を重んじられていない。担当個人の裁量がとても大きい。
たとえば銀行取引等で、絶対にダメとか言われたことが、隣の支店ではアッサリOKなんてことが、ごく普通に起こる国だ。

これは、おそらくあと10年くらいたっても治らない、重い病なんじゃないかなとおもう。比人の文化、考え方そのものだからだ。

弱い者に手を差し伸べるという比の文化は、時々「素晴らしい!」と思えることがある。実際暮らしていて、生活の節々で散見される。日本ならあり得ない弱者救済みたいなことを、サラリとやってのける、美しい所作もある。特に比の男性は、時々カッコイイなと思えることを自然にやる。これは文化の良い面でもある。

それだけに、この「弱者だから交通違反しても良い」は美談にしてほしくない。それは間違っている。身体障害者だからといって、無制限に交通違反を見逃す社会を作るのは、比人にとっても良い選択ではない。
弱者だから見逃す=美談 これ、そろそろマスコミも止めてほしいものだ。

 

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