ひき逃げ屋

自分は小説を書くことが趣味なんだけど、その中でマニラを主題にした小説がふたつある。
一作目は「ひき逃げ屋」二作目は「山下財宝を追え!」というタイトルである。

 

ひき逃げ屋のあらすじ

これは、困窮邦人らが、一発逆転を狙ってお金を作る話である。

主人公(始末屋)、朴(手引き屋)、ゆかり(実行)の三名は、マニラで明日食べるものも無いほど困窮していたのだが、朴が持ってきた殺しの依頼をこなし、マニラ市内でひき逃げすることによって、莫大なお金を得ることに成功する。朴が話を持ってきて、ゆかりがひき逃げをして、主人公は後始末をする役割分担だ。三人は、長年のマニラ生活でお互いの領分をよく知っており、完璧にひき逃げを実行することに成功する。三人は次第にひき逃げに慣れていく。

味を占めた三人は、次第に大胆にひき逃げをやるようになる。ついに巨額の報酬と引き換えに、オンラインでひき逃げ実況をする。
三人は、海の見えるMOA裏の直線道路で、投資詐欺の主犯をひき逃げすることに成功する。ゆかりは、シャブを打ってから人をひくドライブレコーダーまで公開してしまう。

露出しすぎだ。
主人公は焦るが、朴はどんどん依頼を受けてくるし、ゆかりのシャブ中も酷くなっていく。主人公は始末しきれなくなっていく。困窮邦人だった三人は、お金はあるが自由がない状態になっていく。殺しの依頼は殺到しており、捌ききれない程の案件となっていく。死体の処理や、根回しも雑になっていく。
主人公は耐え切れなくなり、シャブ中のゆかりと共に、ルソンから台湾に脱出する計画を練り始める。しかしそれは朴の知るところとなり—-

という小説だ。マニラを知っている人だけ楽しめるという小説であり、フィリピンのことを知らない人にとっては、あまり面白くないんじゃないか。ということで、このひき逃げ屋はお蔵入りとした。

 

二作目「山下財宝を追え!」

フィリピンのことを知らなくても楽しめる小説として書いたのが、山下財宝を追え!だ。日本の山下将軍が隠したとされる財宝を探す冒険小説で、自分でいうのもなんだけどかなり面白くかけたつもりだ。私自身、山下財宝を探している人々と直接会ってきたし、フィリピンでの「この手の話」をしている人らとも、相当取材したし、なにより私自身ルソン島に住んでいるという強みがある。ノリに乗って中盤まで書き進めた。フィクションではあるけど、「山下財宝の結論」という大きいテーマまで書けたと思う。

趣味で書いている小説なんていうものは、自分が満足できればそれで良いのであり、発表なんて二の次なのである。うーん今回はよく書けたな、と思ったのであるが・・・

—途中で、ひとつ抜けていることに気づいた。
山下財宝といえばM資金である。M資金の話がないというのは、山下財宝話にとっては、いわば片手落ちだ。そうだよ。M資金の話を絡めさせなきゃいけないじゃないか・・・
しかし、もうストーリーは序盤からラストまで、全部出来てしまっているのである。M資金の話が入る余地がないのだ。

この「山下財宝を追え!」は、M資金の話を割り込ませることはできないのだ。何故ならこの小説は、新幹線の中でビールを飲みながら読んで、読み終わったらゴミ箱に捨てるような大衆小説を意図して執筆したからである。つまり文学とは全く無縁で、映画でいえばロッキーやランボーのような内容だからだ。

しかし山下財宝をテーマとして、M資金の話を出さないというのは、エンターテインメントとしても面白くない。

物書きのプロなら、上手に絡ませることが出来るのだろうが、私は素人である。そう。つまりわたしは才能がないので、山下財宝とM資金を絡ませた、面白い冒険小説を書くことが出来ないのだ。何故なら、山下財宝とM資金とは当然リンクしているんだけど、それを読者に分からせるのは、文章としてクドいのである。
財宝話というのは、基本的に主人公は財宝に詳しくなければ物語が動かない。ハリソン・フォードが秘宝を探すにしても、考古学教授という設定があるわけだ。

つまり、M資金話に騙されるようなマヌケが、ルソン島で財宝を見つけるというのはストーリー的にあり得ない。
そんなことはすっ飛ばして、「戦場の長嶋巨人軍」のような小説を書けたらどんなにいいかと思う。しかし私はストーリーとして破綻する物語は書けない。

というわけで、ボクの趣味で書いている小説は、M資金と山下財宝の整合性で止まってしまっている。