かなり昔の記事なんだけど、リクエストがあったんで続編!(2)を書こうと思う。 (1)はコチラ
「そのうち続編を書きます」といって放置してある記事が大量にあるからな……(笑) 今日もサンミゲルライトを吞みながら書いております!
悲しいオチ
正直なところ、わたしはフィリピンで寄付をしているという人は、あまり好きではない。絵に描いたようにテンプレ。トンドで寄付をして、ガキに囲まれて写真を撮っているヤツばっかりだからだ。
純粋な寄付なら良いのだが、どうもどこかで胡散臭いというか。
そんな中、この女性は、ひとりだけでフィリピンに寄付をしていた。おかしな団体を作るのではなく、個人で! 休日を潰して、学校から学用品を集め、せっせと活動していたのだ。寄付品はハンドキャリーである!
それを現地の学校に行って、直接寄付をする。中抜き一切ナシ。そして、写真を撮ったり、見せびらかすといったようなこともなかった。(私も少し手元に写真がある程度だ)SNSすらやってない。完全な手弁当である。こんな人がいるのだ……知り合いになったきっかけは、オンラインゲームのチャット機能である!(笑)
彼女との思い出で、一番強烈に思っているのは、俺の友人の子供がデングにかかったときだ。医療費がかさみ、たしか5万ペソ必要になったことがある。
ちょうど、食事をとっていた時に、偶然電話でその事実を知ったのだ。(なんとタイミングが良いんだろうか!)
5万ペソ払えば、子供は助かる。 彼女はその話を聞いて、ワタシが払いますと言い出したのだ。いやいや。いやいや。いやいやいや。それは受け取れない。だって俺が電話口で話しただけの話である。詐欺かも知れないではないか。
「あ、いいですよ」
彼女は、レイテ島の最終日。誰とも知らない子供の為に、5万ペソを送金したのである。
ちなみに、このデング話は本当であり、一切噓偽りは無い。偶然、俺に電話がかかってきて、メシ時だったのでそのまま聞こえてしまっただけのことだった。凄くわざとらしいが……本当なのであった。
彼女の、「子供たちの為になにかしたい。自分ができることをやりたい」という純粋な思いは、本当に伝わってきた。正直、こういう人なら、もっとお金集まるのになぁ~!なんて、当時は思っていたんだが。
◇
我々は、次の寄付をどうしようかという会議を行っていた。俺は寄付は好きじゃないんだが、彼女のやりかたには賛成だった。しかし、このやり方はいつか事件事故になる。現地を知るコーディネーターが必要だろう。それは……俺ということになるのだろう(笑) 完全手弁当で比の子供に学用品を届ける活動。うん。悪くないじゃないか。
前回、レイテ島で寄付を行った際の教訓を生かして、次はどうしようか! と、作戦を練っていた。それも、正月からである!(笑)
彼女は、次にフィリピンに行くのが楽しみでしょうがないので、初詣から神社に行ってお参りしているのだと言っていた。子供が出来ない身体だけに、そういうことを代償行為としていたのだろうか……
議題の中心としては、前回の小学校だよ。クソド貧乏地域に台風直撃。校長はプリンターが一台も無いと言うが、プリンターはインクが要るじゃないか。このあたりをどうするか? なーんてことを話したいと思っていた。
既婚者だったので(俺の方で)少し会話は遠慮していたんだが、旦那はパチンコに行っており、留守であった。
俺とスカイプで話をしていたんだが、彼女は急に、イビキを書いて、寝てしまったんである。はて。
アレ?
しばらく呼びかけていたんだが、返事がない。
……
……おーい
……あれ?
これ。もしかして。もしかして。ヤバイんじゃないの? そう気づいたのは20分も経ってからだった。会話中にいきなりイビキ。しかも一人。……
……ただごとじゃないかも知れない。俺は、正月だというのに、緊急だと言って、友達に電話をかけた。
「脳溢血かも知れない……」
間違いだったらそれでいい。俺は119が出来ないのだ!!! ああ! もどかしい!!
友達に緊急連絡をした結果。彼は119をしてくれた。本当にありがとう。
日本の消防隊は、マンションの屋上からロープを吊って、ガラスを割って入ってくれたらしい。これもまた、有難いことである!
そして……俺の予想は……事実であった。当たってしまった。判断が遅すぎた。脳溢血で助かる、黄金の時間はとっくに過ぎていたのである。
即、入院。ICU。
ああ、神よ。どうして、わざわざ彼女を選んで天国に連れて行くのか。たった今まで、冗談を言い合っていたというのに……
——もしも、俺が素早く動いていれば助かったかも知れない。(でも、当時、俺は精一杯のことをやったと思うので悔いはない)
数日後。彼女は亡くなった。あまりにも早い、あっけないお別れであった。
人生。いろんな別れはあるけど。死別というのは辛い。
旦那から連絡が来る
その後、俺は旦那と仲良くなった。生前、最後に会話していたのが俺だったからだ。
なにしろ、正月。お気楽にパチンコに行って帰宅したら家のガラスが割れていて、嫁さん倒れて運ばれましたって話なのだ。一体誰が通報したのかというと、俺である。フィリピンでの活動のことも、よく知っていた。エリートサラリーマンの人だった。(知らなかったんだが、横浜のタワマンのスゴイところが自宅だった)
旦那に罪はない。正月くらい、羽根を伸ばして、普段やらないパチンコにでも繰り出したっていいだろう! これは不幸な事故なのだ。
彼女は九州の方で、その親族の人からも、丁寧にお礼が来た。
俺は、彼女を助けてやることが出来なかったんだが、そのあたりは親族も充分斟酌してくれていた。それより、よくイビキだけで分かったもんだ、通報してくれてありがとうございますと感謝されたのだ。(※ICUに入ってから数日は生きており、そのあいだ、遺族は充分に考える時間を与えられたのだ。こういう時間は貴重である)
(本当にそう思ってくれていたか知らないが)いつでも遊びに来てください!大歓迎しますよ! と言われた。お兄さんはソニーの半導体の仕事をしていて、なかなか面白かった。(ローテクなCPUが現代でも活かされているような話をしてくれた。それも現場の第一線の人である。俺はそういうの話が心の底から大好きなのである!)
——旦那はエリートサラリーマン。親族も身分のちゃんとした人ばかりである。そんなことは全然知らなかった。
そして。旦那さんと親族(兄であった)のおふたりと俺は、フィリピンで再開し、レイテ島にまで行ったのである。軽く書くけど、割とすごいエピソードだと思う……
俺たちは、レイテに、ささやかなお墓を建てたのだ。墓は俺が用意した。(ある程度ちゃんとした墓である!公共墓地ではなく、プライベートな土地をわざわざ買ったのだ。(※外国人でも、さすがに墓地は買えます))レイテロビンソンから真っすぐ北上して、消しゴムを奪いあった小学校の近くに墓地があったので、ここだ! と思って買ったのだ。おふたりは、「ああ、そりゃあ いいですね~!」と、秒でお金を出してくれた。
旦那は、「彼女は猫を愛していた。今でもほら、空に飛ぶ猫をキャッチしているだろう」という、とっても誌的な墓碑を書いてくれた。なんだ。エリートサラリーマンかと決めつけていたら、こんな一面があったんだ。
こんなことなら、家族ぐるみで付き合っておけばよかったな。嫁の墓碑に詩を書くなんて……ありきたりな表現かも知れないが、なんと素敵なことだろう。俺はこの人を好きになった。
俺はその墓碑を事前に手配しておいたんだが、当日行ってみたら、ちゃーんと刻まれてあった。しかも、小さくネコの絵まで描いてあった。俺たち3人は、その銘板を見て満足した。
旦那さんは、彼女の骨をほんの少し。カケラだけ持参しており、それをレイテの墓に埋めた。カケラといっても、ちゃんとそれ用の骨壺に入っていた。
俺たちは、少し長い間、黙祷した。
そうして、この話は終わった。
オチ
フィリピンの子供たちに学用品を届けたいという話は終わった。それから旦那とは、東京駅で一度会った程度のことで、いまはもう連絡先も分からない。
その時、俺は思いがけないモノを貰った。
お墓に写真を供えるのを忘れていたから、立てておいてくれませんか、というのだ。お。おおう。
そのようにして俺は彼女の遺影を受け取ったんだが、写真ひとつをレイテまで行って飾るというのは一苦労だ。
いまだに、レイテまで行けてない。しかし! 遺影を捨てるということはできぬ。
ああ。あれから何年経ったか分からないが、俺は、この義理を、いまだに達成できていない。

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