三億ペソを抱いて寝る男(12)完

まんじりともせずに目が覚めた。時計を見ると、まだ早朝であった。昨晩はどうなったんだっけ?

そうだ。確か大宴会を中座し、部屋に戻ってぶっ倒れていたのだ。着替えも無いので、ロビーの土産物屋かなにかでティーシャツでも買おうと思い、財布だけもって下に降りた。

ウッ……

一階は凄いことになっていた。ホテルのスタッフも受付も、一人残らず酒瓶に埋もれていた。男女十人以上が床やソファや椅子で寝ており、床はビールやゲロや水なんかが散乱していた。セキュリティまで寝ていた。酷い有様である。

私はしばし呆然としていたが、気を取り直して着替えを探索することにした。あいにく土産物屋は無かったが、服なら道端にも沢山売っているはずだ。

そう思い外に出ると、エントランスでバッタリ玉城と軍団員三名と出会った。

「あ、おはようございます」

初めて軍団員に声をかけられる。玉城もおはようございますーと声をかけてきた。あ、どうも。昨晩は凄かったようですね~と返す。

みなさんは大丈夫でしたか?と聞くと、どうやら玉城と、この三人組は、私同様中座をして部屋で寝ていたそうだ。

(えーと。この三人は名前なんだっけ)と思っていたのを察したのか、玉城が

「日本組の三人です」と助け舟を出してくれた。ああ、この子らが日本組か。「仲村君。照屋君。知念君です」

 

磯の香りがする。昨晩は大雨の夜だったので気づかなかったが、目の前は海だった。そうだ。ここはリゾートホテルだったのだ。

いつの間にか晴れ渡った早朝の海に、陽の光が反射している。左手には小屋や浮き輪の貸出等のちょっとした建物があり、右手は艀となっていた。

誰ともなしに歩き出す。本当にキレイだ。これほど見事とは!!
都会を離れて、早朝の浜辺の散歩をする。単純な観光なのに、なぜかとても清清しい。なにより気持ち良いのが、フィリピンなのに空気がウマイ。それが海風に乗って、呼吸まで心地よい。

皆、口々に、この景色の素晴らしさを讃えていた。まったく同感だと俺も思った。

数分も歩いただろうか。玉城が「あれがわたしたちの船です」と言った。

その一言で、全員、無口になった。だが、歩みは止まらない。

船影が見えてきた。船の腹には『第二新栄丸』と、思いっきり漢字で書いてあった。完全に日本の中型漁船である。

やっぱり….これで帰国する気なのだ。

「ビックリしました?」玉城が、またいたずらっぽく笑う。

昨晩の話で、なんとなく想像がつきましたが、実際、本当にヤル人は初めてです、と私は正直に答えた。

玉城が、道にあった岩に腰を下ろしたので、皆、思い思いの場所に座る。ひとりの子は、腰をおろさず”水買ってきます”といって道路のほうに歩いていった。

「彼が知念君です。彼が今後のカギになります」

玉城は、聞いてもいないことを話す。仲村と照屋は黙っている。

「例のお金を日本で溶かす上で、彼は決定的な役割を果たしてくれるんです」

そうか。日本でペソを持っていても、まともに両替できないではないか!そこまで考えていたとは。いや、当たり前か。

「そして、この二人。仲村君と照屋君には、帰りも『舵を取ってもらう』というわけです」

言葉の意味通りですか?「そうです」

え、君たち、この漁船で日本からここまで来たの?

二人は黙っている。というより、玉城の前で、うかつなことは喋れないと思っているようだ。

「仲村、この人には喋っていいよ。今後お世話になるひとだから」と玉城が言うと、「そうです」と返答してくれた。

そういえば、このふたり、日焼けだけではなくて、少し肌が浅黒い。沖縄の人?と聞くと、ふたりとも黙ってうなづいた。

玉城さん。これは失礼な質問かも知れませんが、もしかして、軍団員って、全員沖縄出身なんじゃないですか?

「どうして、そう思うんです?」

いや苗字で、と答えると、あーそうねーぇそうだそうだ、なんて言って笑っている。

「あたり。この子ふたりは石垣だけどね」

石垣島!!沖縄よりさらに遠い離島だ。石垣島出身の人と初めて会った。

水を買いに行ってくれた知念が戻ってきた。玉城は水を受け取りながら

「この子も沖縄。本島。今那覇空港の近くに勤めてる」

「あ、どうも始めまして。よろしくお願いします」知念が水を渡しながら、俺に頭を下げてきた。

あ、ありがとう。俺はペットボトルを頭上に掲げて謝意を示した。知念は、少しは会話できる子のようだ。

「どこまで分かりました?」

玉城は笑っている。

「わたしにばっかりしゃべらせて。あなたの番ですよ」

水平線のずっと手前で、漁師はもう仕事をしている。全員が、それをボーっと眺めながら、静かに俺なりの推理を話すことになった。

 

—まぁ。あの漁船で帰ると。ハイ。それはわかりました。

いいアイディアだと思います。フィリピンの船ではなく、日本の漁船なら、海上保安庁に捕まったとしても「密入国」と疑われにくいですからね。そもそも日本人が日本の領海にいる話になりますので。日本近海にさえ行ってしまえば、パスポートの提示もなにも要らない。全員日本人なんですから。ただ、バレバレなのは間違いありません。あと密入国ならぬ密出国になりますね。その辺はうるさそうです。そこが少し疑問ですが。ヒトとモノを大量に積むのは船しかない。あの引っ越し荷物も、そしてカネも、あのクラスの漁船なら余裕で入って余るでしょう。それにしても、領海に入る前に、下手すると拿捕されますよ。台湾を避けて公海上を行くのでしょうが、リスク大きいんじゃないですか?臨検でカネが出てきたらややこしいことになります。やはりココが疑問です。

「なるほどね」

玉城も、三人も、目が笑っている。え、なにか俺おかしいこといいました?

「これね。もう何回もやってるんですよ」

!!

「今回が初めてじゃないんですw 捕まるどころか、保安庁が来たことも、自衛隊が来たことも、一度も無いんですよ」

えええええーーーそんなザルなの…?日本は自前の軍事衛星を持っている国なんですけど…

「全部、事前に連絡・調整・申請してある、正規の出航ですもんw 書類も全部揃ってますよ。船籍から名簿まで。何からナニまで全てね」

えええええ!!!これは本当に驚いた。日本は書類さえ揃っていれば、お役所仕事なのは分かるけども。

「日本の漁船、何千隻あると思います?遠洋漁業の船だって、10や20じゃないですよ」

そりゃそうだけど…フィリピンの、こんな最北端に…あ、そうだ!!フィリピン側の入管審査はどうなってるんですか!!と、いいかけて、言葉を飲み込んだ。いや…フィリピンの上陸入管はザルだ…比軍に見つかったらマズいが、見つかるわけがない…いやでも待てよ?

こんな堂々と漁船停めておいておいていいんですか?ちょっと異様というか…

「そらもう故障よ。比も島国だからね。台湾やマレーシアの漁船が壊れて漂着することもあるわなw 」

なるほど。いざ本格的にバレたら、絶対そんな理屈は通用しないと思うが、現実にそれで通っている以上否定はしないでおこう。あとは軍団員の…誰だっけ。警察にもマフィアにも顔が利く男。砂川か。砂川あたりが走ればいいのか。比側はなんとでもなるわな…

でも万が一のときはどうするんですか?と言ったら、照屋が『セドリです』と呟いた。セドリ?!つまり洋上で三億ペソを別の船に乗せ換えるってことか…まるで薬の取引だ。いやいやどこまで本当なのか…

今回、俺の車で移動した理由は?あと、なんで俺に、こんな大事なことを話したんです?

「うーん。こいつらの前では話しにくいなぁ。ーーーあのね。さっき万一の場合という話が出たけど。そうなの。誰かに知ってほしかった、というところかな」

そんな単純な理由なのか。なにかひっかかる。

「というわけで、今晩お別れです」

玉城は手を差し出してきた。握手をする。

じゃあ、三億ペソを円にする方法は?今、隣に座って水飲んでいる知念がやるらしい。この子がそんな大任を、ひとりで?まだまだ聞きたいことは山ほどあったが、玉城はここで話を打ち切る素振りをみせた。

「ロビーの仲間を、なんとかしないといけませんね」

あ、そうだったw

その言葉で、全員が岩から立ち上がり、ケツの砂を払った。

今日はこれから、船に荷物の積み入れを行い、点検後に出航するらしい。日本に着くのは何日も先なのだそうだ。

 

玉城さん。積る話はたくさんありますからね!と、先を歩く背中に声をかけると。

これまでで一番の晴々とした顔で答えてくれた。

「いつでも沖縄にいらっしゃい」

 

(了