中村がフィリピンでバイクの免許を取るまでの話(2)

ま、そんで中村は、全てタガログ(フィリピノ語)で行われるという二日間の「絶望講習」に向かったのである。
実技まではいけるが、卒試は絶望的だ。そのときは英語が選べるらしいので希望はあるが。

彼は当日朝、わざわざ「これから行ってきます」という為だけに、俺ン家に来た。おお。行ってこい。である。

「俺はこれから散ってきます」とでも言わんばかりの覚悟であったw
バイク免許を取る服装然。スニーカー、中袖ジーパン。一応気合は入っていた。しかし語学は気合でどうにもならない。

ま、頑張ってこいや。

即にバイクの免許をもっている俺(自慢)は余裕である。ほんと、こういう手続きはどんどん厳しくなるからね。先に先にちゃんとやっておけば、後から楽なのだ。彼に罪はないが—

二日後の合格を心から祈っていたのだが、彼は一時くらいに再度来訪した。

どしたの?
「あ、終わりました」
なんで?
「ちょっと話いいですか」

えーと。結論だけ書こう。
その激安教習所は、講義を全部やったことにして、口止めをしてきたというのだ。

そもそも9時開始の授業で、来たヤツは二三名。他に申し込んでいたヤツらも全員合格。
ただし卒試だけはどういうわけか「ある程度ちゃんとやる」方針だったらしいのだが、中村は外国人ということで、試験も過保護に終わったというのだ。(遅刻者は実技もしていないらしい)二日間どころか、昼過ぎで卒業である。えっ?じゃあ遅刻していれば実技スルーで卒試だけで証明書貰えたの?と聞いたら答えはYESであった。じゃあ教習所指定の時間に行くヤツがマヌケだったってことじゃん…

いやー。長渕だってユーミンだって、この卒業に感動を覚えないであろう。

という訳で中村は、LTO認可の教習所で、生き馬の目を抜く学校の卒試を突破した。おめでとう!全米が感動の卒業である。

ということは?

—-あとはLTOでチョロっと手続きすればバイク免許を貰えることと相成った。

はずだった。

しかし。そうはならなかったのである。

いわゆる新規免許については、外国人と比人の区別なく、LTOでの試験(更新と違って替え玉ができない)が義務付けられていたのであった。

日本でも、自動車学校を卒業したら、いわゆる「本免試験」がある。アレと全く一緒だ。これはLTOのオンライン試験ではなく、試験官がいる教室で、60分の持ち時間でおこわなれるペーパーテストである。

ごく基本的な問題ばかりで引っ掛け問題ゼロなんだけど、合格率2%と呼ばれる難関である。

この一文については、よくよく深い意味があるんだけども。まぁ一応LTOというのは建前上はガチなので、正面突破をするならばこの2%を突破しないといけないのであった。

つづく