比人とお金の関係について

久々のブログ。先月から書いてなかった。

今回は久々に、凄く小難しいことを書きたいと思う。そういう気分だからだ。

まぁいつものように????飲みながら書いてますけども。

 

今日は、比人とお金の関係について。

ボーっと考えていたんだけど、比人がお金を。自分で自由に使えるのって、もしかすると
二十歳くらいからの僅かな期間しか無いんじゃないの?と思いついた。

これって、実は物凄く重要なことなんじゃないの?と思って、数日思索してしまったのだ。

 

というのも、金銭についての自己決定権が遅いというのはお金の勉強をする上において、
とても重要だからだ。

 

この話をする前に、まず日本のことについて触れよう。

日本人として成長した場合、お金についての自己決定権は、かなり早い段階から育まれる。

それはおおよそ小学一年生ころから、お小遣いというものを貰えるからだ。

このお小遣いというのはスゴイ。自分で好きに使ってよいというお金を、月額渡されるという文化が、
私たちにはある。

さらに、お年玉という臨時ボーナスもある。子供にとってまとまったお金を手に入れることができる、
唯一ではあるものの、デカイ収入が転がり込んでくるわけだ。外国には無い文化である。

ということは、日本の子供というのは、かなり早い時期から、自分で欲しいものについて、子供なりに
自己決定権を持っているということになる。

わたしは、小学二年生くらいのとき、親からもらった100円で、オタマ(味噌汁をすくうアレだ)を
金物屋から買ってきて、母の日にプレゼントしたことがあるのだが、母は涙を流して喜んでくれた。

 

思うに、そういう体験って、比の子供たちというのはできるのだろうか。

日本の子供は、高校になるとアルバイトをすることができる。
社会に出て、ワリとガチにお金を稼ぐこともできる。15歳を過ぎたら、何万円というお金を
稼ぐことも可能だ。私も高校時代にアルバイトをやったクチだけど、その経験は今でも生きている。

私は高校生であっても銀行口座は複数持っていたし、親に知られずに(もちろん親にはバレている訳だが)
高価な買い物だって出来た。

そういう経験があった上で、大学に進学すると、今度はクレジットカードまで入手できてしまう。
自分の経験でいうと、わたしは大学一年生になった瞬間にクレジットカードを契約できたし、
それでテレビを買ったw経験もある。比では考えられない。

当時わたしは18歳のガキであったが、リボ払いを試してみてヤバイと思ってみたり、
一括払いより二回分割のほうが金利が付かない分支払いが楽だとかいう小細工を知ってみたりという、
それなりに学習をしてきたわけだ。

学友の中には、免許を取ったらアコムやプロミスのATMにカードを突っ込んでいたヤツもいた。
それを身近に見て、「ああこういう話なのね」と学ぶこともできた。

 

日本で生まれてきた一般的な男性と言うのは、ほぼわたしと同じ経験をしているわけである。
そうして、お金は使うのは簡単だけど稼ぐのは難しいということを知るわけだ。

 

じゃ、フィリピンではどうなのか。
フィリピン人は、とにかくカネを自分で決定するという権利を行使できない。

なぜなら、フィリピンの家族制というのは、多かれ少なかれ原始共産制みたいなもので、
誰かが稼いだお金を家族で分け合うという事は、共和国憲法より重大な不文律だからだ。

そして、貧乏な家ほど、お金は米とチキンと賭博に消えていく為、子供がお金に触れる機会がない。
学校に行く際、多少余裕があるならば、20ペソ、40ペソと親が渡す場合もあるが、それだけの
ことである。

そして、フィリピン社会というのは、子供が欲しがる品を売っていない。
高校時代、ジャンプもマガジンもサンデーも、何もかも無い。
(※凄く昔は比にもそういう文化はありました)

つまり、若い人が自分のお金を、自分の好きなように使うという決定権を持つことが出来てない。

だから、お金について痛い思いをしたり、後悔したりすることも、日本と比べて少ないんじゃないのと思う。

お金というのは誰かが稼ぐものであり、誰も稼がなかった場合自分が稼ぐ。
でもそのお金は、二週間に一回引き出して、必需品をガバーっと買っておしまい。
残ったカスみたいなお金で、どうしろというんだろうか。

 

ここまで書いて、凄く言いたいことが増えた。やはりお金のことになると、この話題は尽きない。

また思い出したら続きでも書きたいと思います。