昔のフィリピン役所のメチャクチャさについて

今は大分おとなしくなったんだけども、昔のフィリピンの役所は本当にメチャクチャだった。

私と親しくしていた比人家族がいたんだけど、今日はその話。

 

勝手に本名を変える役人が存在した!

その家族というのは、両親共に、花の公務員。市役所勤務。薄給という具合で、
わたしが貧乏なとき近所だった。(※フィリピンの公務員は貧困層である)

だから、酒のみ話で、とりとめもなく、毎日酷すぎるエピソードを聞いていた。
もしも当時ブログを書いていたら、もうその話だけで本が一冊書けただろう。

 

夫婦市役所勤務のおふたりのやらかし

この夫婦のやらかしエピソードは枚挙に暇がなさすぎて、もうご馳走様なんだけど、
一番強烈な話をしようと思う。

それは、

 

両親が「子供が生まれました」と提出した出生届に、

 

勝手に名前を書き加えて遊んでいたというエピソードである。

 

んん?と思ったひとは正常である。そして上記の文章もその通りの理解でいい。
名前を好き勝手に書き加えていたのだ。そのとおりの理解でいい。

これを聞いたときは、さすがに酷いと思った。まさに大混乱を作り出していたのである。

 

なんでそんなことしたの?と聞いたら、
「自分の支持する市長が落選してクビが危なくなったから」である。

いやそれ、なんの理由にもならないよね?という・・・

フィリピンは子供がよく生まれるので、出生届というのは毎日役所で受け付ける。
その名前を弄って遊んでいたというのだ。

なんでそんなことをしたのかも分からない

夫のほうは、「なんとなく、可愛い名前を書き加えた」なんていって酔っぱらって
携帯を弄っている。

その携帯は、なにを隠そうわたしの自宅で盗まれた携帯そのものなんだけども。

そんで、フィリピンの国家統計局は、「最初に提出された書類こそ原本である!」という
姿勢が強いので(当たり前だ)両親も「なんかのミスだ仕方ない」と諦め、
赤ちゃんをその名前で育てざるを得ないのである。

出生証明書で初めて気づく場合もある

フィリピン人が生まれてから、自分で出生証明を取るまでには期間がある。

実は、自分の出生証明を見る機会というのは大人になってからのほうが多い。
子供時代は、なんなら書類ナシでも大体通っちゃうからだ。
そこで初めて、本名と書類が違うということになる。

そして、本名を変更するなんてことは、どこの国でもウンザリするほど手続きが必要だ。

この夫婦は、本名をひとつ付け加えていたので、ま、いいかということになり、
結局オトガメナシである。

なお、フィリピンの場合、名前が三つ(ファースト、ギブン、ミドル)だけでなく、
そこにひとつふたつ加わることもある。(つまり本名が5、6つ分かれている場合がある)
それにイスラム式だのなんだのと加わるので、名前がひとつ加わる位の事は事務的に
処理されてしまうのだ。

本当にカトリックは罪深い

案の定。その夫婦はカトリックであった。
近隣住民に、キリスト教的な名前を書き加えることは、信徒として許されると本気で信じていた。

しかし役得もあった

ひとつ罪を告白しよう。

わたしはその夫婦と毎晩のように酒を呑んで遊んでいたので、おかげで、その市役所では
行列全部スキップ。(マニラの役所も同様であった)

それだけではなく、書類関係で困っている日本人の書類は、
そこの役所で全部完璧に手続きすることが出来た。(貧乏時代、これは貴重な現金収入であった)
「いくらなんでも通らねぇだろ?」というような手続きも通った。

これはフィリピンにおいては「アリ」ではある。だって役人がヨシといったんだから。

 

いつだったか、そこの市長にも一度だけ会ったことがある。
なんの用事かも忘れたけど、日本語教育どうのこうので、役人に教えて欲しいという話だった。
まあ、裏もたっぷりありそうな話であるw

それは、例のネームチェンジ夫婦が、ちゃっかり反対派市長に取り入った結果でもあった。
これは断りにくかったが、なんとかうまい言い訳をして断った。

 

思うに、フィリピンベテラン勢なら、この「昔の役所メチャクチャ話」というのは無限に
出てくると思う。

なにしろ裁判所だって無罪出してくれるようなことがあったのだ。
(この話はまたあとで書きたい)

 

よく、「日本人は海外では外様!自分の国以外では迷惑をかけずに大人しく・・・」
という。そういう説はよくあるけども、仲良くなって譜代になったら、それはそれで
面白い。

刺激に満ちた話というのは、なにも都会だけではない。
フィリピンの田舎だからこそ聞ける、ぶっ飛んだ話だってあるのだ。