困窮邦人に復讐した話(1)

可愛そうなフィリピン人よりも、同胞である日本人を先に助けたほうがいいと思っている。

何故なら、可愛そうな比人を助けるのは、フィリピン人の役目だからである。
比政府なりなんなりが、同じ比人を助けるのが道理である。俺らは関係ない部外者だ。

それより、このフィリピンの地においては、
比人よりもまず先に、日本人をこそ助け、手を取り合うべきだと思う。
袖振り合うも他生の縁と言うではないか。日本人を助けるのに理屈は要らないのである。
なんの縁か、フィリピンに来た同胞同士。お互い様じゃないか。オレが困ったら助けてくれよ。

—と、そう思っていた時期がありました。

というわけで、今日は困窮邦人の闇について書こうと思う。

 

良かったと思ったことがほとんどゼロなのが困窮邦人

これまでフィリピンに生きてきて、困窮邦人を助けたことは何度かある。
そのどれもが思い出として残っている。

それは、助けなきゃよかったという気持ちしかない。

私は、これまで邦人を助けて良かったなと思ったことは、ただの一度しかないのである。

 

困窮邦人は偉そうなのだ

当時はわたしも若かった(笑)んだけども、とにかく困窮邦人というのはエラそうなのだ。
ほとんど例外なく、日本の上下関係を持ち込んでくる。

感謝するのは最初だけ。そのうち呼びつけてくるようになり、こまごました用事をやるハメになる
のがパターンだ。

一度助けたからには、乗り掛かった舟とばかりに助けると、再現なく態度が肥大していく。

思い出の説教

そんな困窮邦人の中で、強烈な人物がいた。
その男は(ブログでは書けない話)なんだけども、とにかく若い人に説教するのが大好きという奸で、
わたしは呼びつけられては説教されていた。

一体なんの説教なのかというと、わたしが信用できないとか、ふざけているとか、
ナメているとか、態度が悪いとか、そういう話である。

その男は仕事が無かったので、わたしは仕事を与えたのであるが、ほとんど使い物にならなかった。
それも、サボった結果お金になっていなかったのであった。

当然、報酬はない。

するとその男は
「オマエはフィリピンを知っているかも知れないけど、オレは知らないんだから、オレが悪いんじゃない」
という理屈をつけてきた。(なおその仕事は全部日本語であった)

そしてまた説教である。その説教というのがまた長くて、短くて3時間。
ヘタすると5時間くらい説教をしているのである。

そのあいだ、わたしの言うセリフは「ハイ」しかない。

若い頃の武勇伝と、オレがナマイキだという説教。同じ話を何十回も聞かされたわけだ。

このままいくと、日本に帰国するカネがないのはオレのせいだとなりかねない状況であった。
(細かい話はブログでは書けないが、だいたい想像してください)

 

俺は怒った

この付き合いは、数年続いた。持ち出しなんてもんじゃない。ボランティアなんてもんじゃない。
どうしてオレが、ここまでコイツと付き合わなきゃいけないのか。もう訳が分からなくなっていた。

そこで、俺は、この困窮邦人に復讐(?)をすることにしたのである。

 

なにしろその困窮邦人は、
「オレの名前を知らないヤツは地元でいない」だの、
「ナントカ組のナントカさんとは裏盃を交わしている」だの、
「ナントカ警察はオレの顔を見たらご苦労さんですと頭を下げてスルーする」だの、

まあ、にわかには信じがたいことを連発していたのである。

(2)に続く