マニラ在住者から見る暴太郎戦隊ドンブラザーズ

自分はアニメや漫画をチェックすることが習慣となっている。
出来ればドラマや映画も、流行りモノは、なるべく見るようにしている。

なんでそんなことをしているのかというと、浦島太郎にならないようにするためだ。
日本から来る人というのは、当然日本の文化に詳しい訳なんだけど、海外にいるとそれが全く分からないことになる。

そうなると、気軽な日常会話もままならなくなるのだ。
それもあって、積極的に見すぎた結果、日本人よりも詳しい状態になりつつあるのが俺だ。
子供が見るものは、親も見るのだから、親のほうと話を合わせるには子供向け番組というのはチェックを入れておく必要がある。
日本の創作文化というのは物凄いので、追いかけるにも限度があるけど、それでも「一応押さえて」おくわけだ。

子供向け番組というのは、私にとって、知の源泉でもある。馬鹿にするどころか、俺は作り手を尊敬している。
しかもかなりウザいレベルでリスペクトしている。
子供向け番組というのは、日本の知性を結集して作られていなければならないと思っているほどである。
馬鹿が作ってはいけないどころではない。一流の作家、脚本家、監督でなければ、子供向け番組というのは制作出来ないと思っているし、
その担い手には惜しみない拍手を送ってきたつもりだ。
表現に制約も多い。スポンサーもいる子供向けコンテンツというのは、日本国超一流の人たちが集まって作られていたものである。

「罪と罰」や「人間失格」が素晴らしいように、サイボーグ009は素晴らしい。セーラームーンのオープニングが細かく変わったのは
何故なのかというのも、いまだに考えているほどである。それは時間を使って考えるべきことだからだ。
(ので、俺と会ってこの話題になると何時間でも話していると思っていいです。)

暴太郎戦隊ドンブラザーズ

それにしても、今年(去年)の特撮「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」については、もはや俺の理解を超えていた。
特撮を愛するオレとしても、もう感覚についていけない状態である。ネーミングセンスはイイが、それだけのことだ。

ついに俺も、頭デッカチ人間になってしまったのか・・・と、かなり悩んでいる状態である。
ピンクが男性であるとか、そういうことではなくて、この作品は、もはや特撮モノとして成立していない。

令和になってから、このような特撮モノが増えてきたことは察していたけど、もうギブアップなのである。

特撮ヒーローモノというのは、子供に夢を与えなければならないという不文法がある。
これは児童向けの作品なら「そうであらねばならない」訳で、その文法の中で作家が個性を競い合う場であったはずだ。

ところが、もう令和の特撮モノというのは、子供に夢と元気を与えるというモノですら無くなって、
ただの学芸会的な内輪ネタになっているだけなのだ。

例えば「カーレンジャー」は、バイクに乗っているヒーローから車に変わった、等と進化しているんだけど、
これは進化として正しい。

ところが暴太郎戦隊ドンブラザーズには、文法がもう何もない。そもそもOPが手抜きであるというのは苦痛でしかない。
はっきりいってつまらない。大人が鑑賞に耐えないというのは、子供も見ないものだ。子供は賢いのである。
親と一緒に楽しめない作品を作った作家は恥じるべきである。断言しよう。ドンブラザーズは失敗作である。

暴太郎戦隊ドンブラザーズを見た子供が、20年後襲い掛かってくるのだ

男性にとって、ガキの頃に見た特撮モノというのは、大げさに言えば人間形成の一環ともいうべき影響力がある。
いまの30代男性が、ポケモン100種類言えるのと一緒だ。
今日生まれた赤ちゃんは、「生まれた時からチャットaiが存在した第一世代」なのだ。

 

俺は、この「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」が、最初から最後まで全く理解できなかった。面白くないのである。
この作品には、特撮戦隊モノが時折見せる素晴らしい作家性が、見事になにもない。
大根イケメン俳優が演じている。ただそれだけである。底の浅い学芸会である。

特撮モノを軽んじるようでは、日本の将来は無い。そう思うと暗澹たる気持ちである。

 

表現というのはPOPな感じがいいのは80年代からの主流であることは理解している。
その感覚から30,40年たった現代では、動画表現すら40秒程度という時代になってきている。
ひとりひとりが発信者になれる現代では、もはや作家性という言葉さえも死語なのかもしれない。
昔流の表現を借りると、「一億総作家」という時代なのかもしれない。

その結果、昭和から連綿と受け継がれてきた、世界に誇るコンテンツである、我が「特撮モノ」は、
ただのファッション表現にまで貶められて、「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」になったんだろうとおもう。

例えば戦隊モノにあって、背景の爆発は本物の火薬でなければならない。これは当然である。
ところが今はCGである。なにも分かっていない。なにも分かっていなさすぎて怖いくらいだ。
先人が、どれだけの智慧を絞って、あの爆発を表現したのか。
あれは職人芸であって、安易にCGにすべきでは決してない。OPにCGを使うなど、本来言語道断である。
そういったタブーを破ったのはいいけど、肝心の中味に新規性、革新性がなければ、ただの陳腐なものである。
誰に向けてこの作品を作ったんだろうか?戦隊モノを軽く考えすぎている。

何故、仮面ライダーやウルトラマンというのが流行して、愛されるようになったのか。
それは大人の鑑賞に耐えるほど素晴らしいものだったからである。

おかしなことを言うと、仮面ライダーには色気がある。真理がある。勇気がある。
今のドンブラザーズになにがある?何もない。

ただの人間が変身し、ヒーローとなって日本を守るに当たっての葛藤やドラマ回が全くない。
とってつけたような設定、ちょっとハズしたほうが一周回って面白いかのような、ライトなOP。
そんなもの、誰が求めているのだろう。見せられる子供が一番可哀そうだ。

 

この「ドンブラザーズ」の作り手が、20年後、老害になるのかと思うと、心が潰されそうだ。

「クールジャパン」なんて言っているけど、特撮モノこそ日本男児の故郷であることを、努々忘れてはならない。
みんな、戦隊モノを見て、愛と勇気と正義を知って、育ったのだ。この影響力を笑えるヤツがいるだろうか。

教育改革するならば、まずは正統血筋の戦隊モノをやるべきだろう。
SNSに子供の写真は溢れているけど、ドンブラザーズの変身ポーズを撮っている子供が何人いる?

俺たち日本男児のスーパーヒーローは、子供が憧れる正義の味方でなければならないと思うんだけどな。

 

私も歳を取ったのか知らないけども、アニメエンディングの最高傑作は「スプーンおばさん」だと思っている。

リンゴの森の仔猫達に
誘われたのよ楽しいパーティ

 

俺はもう土下座してしまう。降伏だ。
この二行。俺は一生を費やしても書けないだろう。素晴らしい歌詞である。何万回繰り返し聞いてもいい。
こういう「圧倒されるほどの才能」というのは心地よいものだ。昔の子供向けアニメにはそれがあった。

時代に関係なく、子供も大人も心を打つ作品を、表現者は世に出すべきだと思う。
特に子供向けの商業作家は、命を燃やし尽くすほど全身全霊をもって制作して欲しい。
それでこそ、わたしもマニラで、楽しく日本から来たひとと、話を合わせることができるのだ。

例えばニルスの不思議な旅のオープニングはどうだ。
もし、こんな曲を一曲でも作ることができれば、自分は今日死んでも悔いは無い。

ただの少年ニルスが小人になってしまい、動物たちと同じ目線になって、「準備なんか要らない」と旅にでる。
「同級生の前で空を飛んだら、みんなびっくりするだろうな」というような、思春期の根源があるんだけど、
その原作を受けて作られた、このOPの見事さはどうだ?

才能が溢れている、素晴らしい出来だ。何千回繰り返し聞いても色あせないどころか、新たな発見があるほどだ。
児童向けというのは、このレベルで才能というリソースを割り振ってよいのである。そうするだけの価値がある。

 

いったいいつから、子供が「うっせぇうっせぇうっせぇわ」になっちゃったんだろうな?
底の浅いヒカキンだのナントカ社長だのというコンテンツを浴びて、考えることを放棄している気がするよ。

日本には、こんなにも素晴らしい曲が埋もれているのに、いまだに評価されてされていないというのは、もはや大人の犯罪だよ。
いつの時代だって、子供はアッカ隊長に説教されながら、不思議な旅をしてみたいだろう。
空想の世界に浸って、鳥の背中に乗って旅をしたいだろう。

もはや「異世界転生」「なろう系」すら古い訳なんだけど、それはどうしてかというと、時間という洗礼に耐えられないからだ。

ニルスのオープニングの素晴らしさはどうだ。時代を超えても人の心を動かす礎がある。

だから、俺はドンブラザーズに失望したのである。
法則を破って新規性を求めるのはいいけど、伝えるべき言葉がないので空回りしている。
ウケの良さそうな表現をしているけど、20年前に議論されつくしたことをやっているのは、今さら感でしかない。
まるで「ゴジラが負けたらどうなんの?」といったような陳腐な表現でしかない。
時代に即してるんじゃない。時代に媚びている。そこが一番気に入らない。

子供向けのコンテンツの中でも、昭和や平成の作家は表現をしてきた。
商用という厳しい制約の中で、素晴らしい表現があったからこそ、子供向け特撮モノというコンテンツは呼吸してきた。
令和の今はどうだろう?俺は窒息しそうだ。

性別の区別が差別だという世の中では、善悪の区別もつかないと見えるけど、それだったら仮面ライダー一号のほうが
よほど先をいっている。

おそらく、特撮モノの撮影現場や脚本家というのは、こういった先人の知恵が、もはや断絶しているんだろう。
これって「まーしょうがないよね」で済むだろうか。
日本国の男性にとって、特撮モノというのは幼少時の原体験である。教科書よりも刻まれるほどの記憶なのに、
子供向けのコンテンツという、ただその一点だけで軽くみられるのは残念だ。
ドンブラザーズを見て育った男性が、そのうちフィリピンの大使になる可能性だって充分以上にあるのである。

本国は、もっと真剣に子供向けのコンテンツを作るべきだ。

—-こんなことに時間を使っているから、俺は機敏にマニラのアテンドも出来ないんだろうけど。
子供連れの客に、調子よく「ドンブラザーズ面白いッスヨネ!」と、器用になれない俺がいる。