フィリピン・スタディツアーの話

人はみんな、引き出しを持っていると思う。

たとえば絵心があるとか、楽器が弾けるとか、特許をもっているとか、難関資格を持っている諸々、
なにかひとつくらいは得意分野があるものだ。わたしはそれを聞くのが好きである。
中には膝を打って、よくぞ質問して下さいましたと、何時間でも喋ってくれる御仁もいる。
そういう人と出会えば、会話も弾む。私も楽しいのだ。

話の引き出しという点では特に、海外でのボランティア活動だ。身を乗り出して話を聞きたい。
どんな経験をしたのかとワクワクしてしまう。(今時は「海外スタディ・ツアー」というらしいけど)
海外というだけで共通の話題があるし、どんな話が飛び出るやら?是非聞かせてくださいと、
経験という引き出しを開けたくなってくるわけだ。

ところで今週、わたしはイヤなことばかりだったので、ちょっと言葉にトゲがある。
いつもの酔っ払いブログなので、まあそのつもりで読んでもらいたい。

 

 

フィリピンのスタディーツアーの話はつまらない

どうしてだろうか。フィリピンのスタディーツアー、ボランティア活動系の話というのは
ほとんど全員「がっかり話」ばかりだ。はっきりいって面白くないのである。

最初は興味を持って質問するんだけど、あまりにも面白くないので、途中で聞き役を止めてしまうこともシバシバだ。

行く場所、感想がぜんぶ一緒という不思議

まず、ハンを押したように、行く場所がトンド地区である。トンドと聞いただけで、私の興味はかなり削がれる。
トンドはNCRの中では貧乏地帯ではあるけど、マニラに出稼ぎに来ている地方出身者が多いからに過ぎない。
(実際トンドではイロカノ語やビサヤ語を話せるとモテる)
フィリピンには、もっと悲惨な場所は、それこそ沢山あるのに、どうしてか皆トンドに一直線に行くわけだ。
トンド=かわいそうな子供たちが震えている=それを助けたい というテンプレが出来上がっている気がして
好きになれない。

寄付慣れしている住民

おそらくトンドは、マニラ周辺で一番寄付慣れしている住民だと思う。
私も何度か覗いたことがあるけど、バランガイの段取り(テントの貸し出し)や写真撮影、子供たちとの触れ合いが
全部テンプレになっているのには驚いた。
寄付している隣で、たった今貰った品物を売っているヤツが沢山いたし、
力の強い者は何度も受け取り、弱い者は受け取れずに退散していく有様である。
日本人ボランティア様は、目のまえの光景に精いっぱいで、誰が何個受け取ったか?なんて見てもいない。

下手な団体になるともっと酷い。品物を並べはじめてすぐに、雲霞のごとく寄付品泥棒が湧いてきて、
箱ごと持っていかれることすら何度もあった。(こんなのトンドだけである)

トンドで寄付した経験ってないんじゃないの?

それでも大学生や、学校教師は、今日もせっせとトンドに通って、「子供たちと心のふれあい」をしている。
なんのことはない。カモにされているだけだ。

最近では、さすがにトンドはスタディーツアーの流行ではなくなったらしくパヤタスになったようだけど、
それってなんでかというと、ゴミ山があるから、である。ゴミ山があるから絵になるだけだ。

ゴミ山に住んでいる比人とは?

勘違いしないで欲しいんだけど、ゴミ山に住んでいて可哀そうだなんて、フィリピン人は誰も思っていない。
彼らは進んでゴミ山に住んでいるのだ。
実際、トンドのスモーキーマウンテンが閉鎖されるときは大大大反対運動があり、何度か暴力的なデモまで起こった位である。
ゴミ山は稼げるし、彼らにとっては職場であった。外国『特に日本政府』が、ゴミ山なんとかしろ!と国連で騒ぎ出したので、
慌てた比政府はスモーキーマウンテンを強権的に廃止したのである。
トンド住民にとって、ゴミ山廃止は生活の術を失くすことでもあったのだ。

どうしてジョリビーの廃棄食品を食べるのが可哀そうなのか?

スモーキーマウンテンに限らないけど、フィリピンのゴミ山では「捨てられた食品を煮込んで食べる文化」がある。
つまり残飯を食べているのだ。

なんと可哀そうな人たちよ!と思うだろうけど、それは違う。比政府は「止めろ!」と何百回も言っていて、
住宅や職を手当し、国際社会の顔色を窺っているのである。
ところがゴミ山住民は、政府のやることなすことが気に入らないのでなんでも反対し、これ見よがしに残飯を食べている。

私はマニラ、リサール、ラスピニャス、カビテ州らが建てた救済プログラム住宅を見学したことがあるけども、
ゴミ山のアブナイ住宅より数倍マシで、どれも二階建てのタウンハウス様であり、家賃も充分払えるところばかりであった。
(一か月1500ペソくらいである!)そして子供たちが学校に通えるように、専用の小学校が必ず付近に建てられていた。
どう考えても移転したほうがいいだろ!という内容だった。
これ、申し込めばフィリピン国籍持っていなくても入居できるのである。(それこそ私でも入居できた)

それでもゴミ山住人は「救済住宅はお化けが出る」だの「治安が悪い、交通の便が悪い」だのと理屈を並べて
残飯食べているのである。

なんのことはない。ゴミ山なら、ジャンクショップにいけば現金が手に入るし、海外ボランティアも来るし、
足を伸ばせばマニラにも近いし、同郷友人も多いので離れがたいし、反政府組織が余計な知恵も付けるので、
すっかり居心地がいいだけのことなのだ。

 

ゴミ山=かわいそうという幻想

日本のスタディーツアー参加者というのは、だいたい1.2週間くらい滞在し、現地交流して帰っていく。
ツアーには大体通訳という名の付添人というか主催者がいて、決まりきった貧困問題の話なんかするわけなんだけど、
みなその話を鵜呑みにしてしまう。

だいたい、彼らは可哀そうなんだろうか?
貧乏だの困窮だの言っているけど、じゃあNAIAやエルミタにいるストリートチルドレンを助ける団体がひとつもないのは何故?

だから、フィリピンのスタディーツアー参加者の話というのは、みな一様の言葉しか返ってこない。

日本と違う光景に言葉を失いました
学校にいけない子供たちを目の前にして、なにかできることが無いかと思いました
悲惨な環境でも底抜けに明るい比人を見て逆に勇気を貰いました

馬鹿かと思う。考える力を捨てている。まるで映画で流す涙である。
そんなんだから、ゴミ山のガキに財布を盗られて「フィリピンの治安は!」なんてのたまうのである。

そもそも誰が悪いのか?

そもそも、この可哀そうな人たちというのは、誰が救うべきなのだろうか。当然フィリピン人が救うべきである。
ところが、当の本人らは、同情なんかまっぴらごめん。俺らは好きなようにやるという態度を崩していない。
その証拠に、これまでトンドもパヤタスも、数限りない外国の援助団体が日参した結果、なにも変わっていない。
それどころか援助慣れした住民は、どうやったら援助品をひとつでも多く貰えるのかと研究している始末である。

比はキリスト教の国でもある。この手の寄付というのは、まず自国であるフィリピン人自身が行っている。
それも日本とは比べ物にならないレベルで助けている。いろんな教会が毎週のように炊き出ししている。
フィリピン共和国全体で考えれば、マニラにいるというだけで相当チャンスがあると言っていい。
他の島々なんて、援助も炊き出しもなんにもないんだから。

 

援助されていない地域の衝撃

横浜市西区の小学校数校に呼びかけ、不要学用品を集めてきた人がいた。
それを比の子供らに配りたいと私に相談がきたことがあった。
ちょうど当時、台風オンドイでビサヤがメチャクチャに破壊されたこともあり、学用品をレイテ島で寄付をしたことがある。

まさに手弁当の寄付だったんだけど、その経験は忘れられない。本当に感謝されたのだ。
崩れかけた学校(という表現がぴったりであった)で、子供らは、横浜の子供が捨てた鉛筆や消しゴムを、奪うようにして
もっていった。そしてサンキューサンキューと言われた。
(プロの寄付受取人はサンキューを絶対言わない。サンキューと言われるのは珍しいことなのだ)

トンドとの、あまりの違いに呆然としたほどであった。ああ、やってよかったなと思えた。
その中でデングにかかっている子供なんかもいて、右往左往し、なんとかお金を工面したこともあった。
同行者は、もっているペソでは足りず、日本から送金を受けて払ってくれた。
目の前で子供が助かり、母親は我々を神と呼び、運命だと返答というシーンまであった。ぜんぶ本当のことである。

残念ながら、呼びかけた方は翌年脳溢血で亡くなってしまった。それも私と会話している最中であった。
(比から日本に119できず、友人に頼み込んで救急車を派遣してもらった。救急隊はマンションの窓ガラスを割って突入してくれたんだけど
通報の遅れが致命傷となって命を奪ったのである。海外から119する術があれば助かっていたかもしれないと思うと、いまでも心が苦しい)

わたしは遺族に事情を話したところ、お兄さんと旦那さんがわざわざレイテ島まで来てくれた。
三人で墓を建て、遺骨を埋めた。(レイテに墓を買って埋めた。墓に限っては外国人でも土地を買える)

私にとって、あまりに苦いボランティア活動だった。(実際この事件があってから、私はボランティアを止めた)
当時の活動に後悔はないけども、私のような体験をした人と、これまで出会ったことが無い。

もちろんいるんだろうし、もっと深淵を覗いたひとも多いだろう。だからこそ、比のボランティア活動の話は聞いてみたい。
日本人が、誰か比人を助けたという話を、もっと聞いてみたいという欲がある。

 

だから私は、いつもトンドでテント貼ってるスタディーツアーと聞くと、いつもガッカリしてしまうのである。