かつて存在した、マニラ変人会について

よく、そのへんのマニラガイドブックでは「マニラホテルこそ伝統ある、マニラを代表するホテルであ~る!」とクチを揃えて書いてある。るるぶ にも、マッカーサーやビートルズが泊まったと書いてある!そうだ。その通りだ。マニラホテルこそフィリピンを代表するファイブスターホテルである。それは分かる。

しかし。実は、マニラには、もうひとつ知られざる名ホテルがあるというのをご存じだろうか。シェラトンでもなくペニンシュラでもなくレッドドアーズでもない。OYOでもない。

それは—-「マニラベイビューホテル」であるッ!

・・・・・

・・・・・あれ?反応が少ない・・・?(笑)

って。ハァ?え、ベイビューホテルってアソコでしょ?↓でしょ?入管本局の近くでしょ?あー何回か行ったことあるわ。
まー…フツーのホテルだよね…別に…これのどこがマニラホテルと同格なんだよ、という読者様の心の声が聞こえてくるようである。

いやどこがだよ!と思ってはいけない

さて前置きはこのくらいにして、実はこのベイビューホテルが素敵すぎる歴史のあるホテルだという話をしよう。

このホテル。立て替えて近代的になっちゃっただけで、実は戦前からあるのだ。

↑これが元々のベイビューホテルである。

ベイビューホテルと日本変人会

このマニラ・ベイビューホテルこそがッ、ふふふ。隠れた名ホテル説をこれから述べよう。

このホテル。我が皇軍が昭和十九年四月二十九日(ちゃーんと天長節に合わせているのだ)に接収し、ほんでちゃっかりマニラ高等官(文民)が住居にしたという記録が残っている。早い話が、お偉いさんの官舎にしちゃったのだ。

なにしろ旧軍以来、うちの国の役人は、なんでも記録に残してしまうクセがあるので、このベイビューホテルの記録も令和の現代となっても、ばっちり残っているのだが、これがもう凄いのだ!!昔の記録?フーンくらいに思ってはいけない。「よく読めばとんでもないコト書いてあんぞコレ?!」という代物である。

 

まず先陣を切るのがマニラ司政官殿である。

ベイビューホテルで、ずっと陶芸をしていたとある。—-?

見事な腕だという。なるほど便利!なんなら花瓶とか作れちゃう!実用的!

ん??—-陶芸—?(笑)

あれ?確か戦争していたハズですよね…ワリとガチ目の…たかが国家存亡程度ですが…

他のお偉いさんも負けてはいない。っていうか、そんなヤツしかいない(笑)なにしろ、この官舎。ほとんど仕事をしている記録が無い!日中はブラブラと淫売を買いに行き、夜は浪曲を吟じたり、尺八に凝ったりしている官がウジャウジャいて、全く収集が付かない状態になっていたというのだ。素晴らしい!!

ああ。我々の先輩は、一歩も二歩も先に「もうやっていた」のである。夢の南国生活FIREを達成していたのである。
”オンナは昼に抱く!これが遊び人の粋!”等と言っているヤツがいるが、そんなん戦中からマニラでとっくに常識だったのである。

 

ウッカリ技官としてマニラに赴任した日本人が、ベイビューホテルに一歩入って絶句し、このような言葉を残している。

—こんな生活で本当の仕事など出来るハズがない。「一億一心」と、内地では酒もなく、先祖伝来の老舗を棒に振って工場に徴用される時、マニラだけが、こんなデタラメな生活をしていてよいのか。日本人の品性が情けなくなった。日本人は教育はあるが教養はないと米人が言っていたが本当だ。

 

カァーッ!いるよねぇー!こういう建前言っちゃう頭デッカチ純粋マッスグ君がサァ!!まったく!!素直にサァ。陶芸混ぜてって言えばいいじゃないの。

 

それにしても。まぁ、おっしゃる通りでは、あるんだけど…(笑)

何故日本人はマニラに来ると、一度ダメになるのだろうか(笑)

で!いつしか、マニラ・ベイビューホテルの住人(※難しく言うと「比律賓高等文民官舎」)は、自動的にマニラ変人会会員ということになっていったというのだ。

さらに調子に乗るベイビュー変人会

詳細は長くなるので ここでは省くが、もう戦時中とは思えないヤラカシばかりである。漫画に例えるなら、だいたい「わたるがピュン!」くらいのノリと言えば分かりやすいだろうか。こんな生活。楽しいに決まってる!!

使命に燃え、国の為に故郷の為に、天皇陛下の御為に!勝って帰ると勇ましく、誓って故郷(クニ)を出てみたら、とんでもない上司しかいないなんてのは ほとんど異世界転生モンである。比に着任して、このベイビューホテルを住居に当てがわれたらオシマイだ。変人会の連中に感化され、いつの間にかホテル内ウッキウキ ローラースケート大会に参加しちゃったりしているのだ。こんなん楽しいに決まってるだろ。周囲皆お偉いなので、書類なんて なんとでもなっちゃうんだから 始末が悪い。でも現地の記録では、陶芸家のマニラ司政官は碁も強い!マニラ碁名人!とか、そんなんばっかである。「欲しがりましょう、勝つ前に!」をやっちゃったご先祖様の記録なのである。

極めつけはマニラ初空襲の際、

ベイビュー変人会終わった!もう爆弾で死ぬってんで、うろつき回ったけど当たらなかったから、しょうがないので勝手に海軍の船で帰国しちゃったヤツまで現れる。ここまでくると立派の一言だ。言語明瞭意味不明である。もはや何をやりたいのかさえ分からないw

 

とまぁ、なかなかに、このマニラベイビューホテルの旧住民はマニラライフを謳歌していたようなのだ。難しい歴史は他の人に任せておきゃいいんだよ。俺は、かつてこのマニラベイビューホテルに住んでいた変人達を、大いに気に入ったのだw これだけでひとつの物語が書けそうじゃないか。

 

マニラベイビューホテルこそツウ!

というわけで、マニラの歴史に想いを馳せたい!が予算がない…マニラホテルは泊まれない…という方は、マニラベイビューホテルに泊まろう。
イントラムロスが目の前だし、「おお、このロビーあたりで、かの石村重蔵司政官が、立派に陶芸をやっておられたのだ…」と想いを巡らすことができること間違いなしである。

 

ベイビューホテルはこちら

参考・引用:日本はなぜ敗れるのか(山本七平)他
※いつも書いてますが、本ブログを余り真面目に読まないように。あくまでも、面白おかしく書いた読み物です
※ベイビューホテルは皇軍接収後に(役人に)あてがわれた建物です。本文での態様は皇軍(軍隊)を表しておりません

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