駐在転生 ~赴任したら本気出す~ マニラと異世界モノの関連について

最近酒も呑まず真面目にしているんだけど、今日は吞んでいる。久々のブログ更新。いつものサンミゲルと共に、
今宵もくだらないブログでも書こう。前半は表題と関係ありません。好き勝手書いてます。まぁ今日もどうぞよろしく。

今日の表題は、なろう系である

なろう系とはなにかというと、「小説家になろう」というサイトで発表されている作品のことである。
このサイトは、小説家になろうという表題とは裏腹に、ほとんど全部が「異世界転生」だの「ざまぁ系」だのといったものである。
わたしの読者層からいうと、「あー子供が読んでます」という人もいるだろう。

このなろう系というのは、いわゆる「ライトノベル」とはまた別のジャンルを形成している。
(※昔でいう、角川スニーカー文庫や、富士見ファンタジア文庫のノリではない。
なろう系読者の『幅』に比べたら「ロードス島戦記」なんて、難しすぎて冒頭で本を閉じられるだろう)

これがまた売れるので、日本では大いに影響力があるわけだ。

「子供が読むもんでしょ?馬鹿馬鹿しい」と思ってはならない。
前回、暴太郎戦隊ドンブラザーズのことを書いたけども、こういうことについて最も愚かなのは、読んでもいないのに批評して
避けるひとである。食ってもいないのにウマイマズイを論じることはできない。なろう系だって同じだ。
代表作を5つくらいは読んでみないと、なんとも言えないではないか。

というわけで、ざっくばらんに読んでみることにした。

 

素人なろう系小説

まず、素人の書いた小説をポチポチと読んでみる。
ハッキリ言おう。酷い。これはもう『読む拷問』である。

日本人の知的レベルはここまで落ちたのか・・・文学は死んだ!

なんていうほど酷い作品のオンパレードである。死屍累々である。落書き以下である。

かなり売れている作品・・・何百万部突破!アニメ化!コミカライズ化!なんていうものも、
正直いって「読むに堪えないシロモノ」である(すいません)

え、これが売れてんの?いまのひとって、これ最後まで一巻読んでられんの?という出来である。

まぁ、俺が齢を取り過ぎたんだろう。作品が悪いんじゃなくって、自分の感性が鈍ったんだろうな、と思う。
現代で売れている作品がツマラナイというのは、俺の脳みそが令和にアップデートされていないことを意味するからだ。
なろう小説を受け入れるくらいの柔軟性が無いと、二十代とは会話もできないだろう。

転生したらスライムだった件や、オーバーロードあたりを原作で読んでみたけど、なにが面白いのか分からなかった。
無職転生もなんだこりゃ?だったけど、アニメ版がいいらしいので一応見てみたいとは思うけど消極的である。

これを面白いと思えないということは、俺の中の何かが錆びついているんだろう。
でも、そろそろ、転生したらスライムだった件について、素直に感情移入してもらっては困る年齢でもあるのかも知れない。

 

そんなことを思いながら、なろう小説を片っ端から読みまくってみた。

 

—–その中で、見つけてしまったのである。

オッこれはスゴイとおもった作品があった。「異世界のんびり農家」である。

異世界のんびり農家はスゴイ

冒頭はこうだ。

 俺の名は街尾火楽。
大学卒業後に就職した会社がブラックで身体を酷使して二十代を終え、三十代は病院で暮らした。
男性。
享年、39歳。
そして現在、神様と対面中。

 

分かりやすい。物凄く分かりやすい。これ以上ないくらいに分かりやすい。
この情報を「小説」にしたら、たぶん原稿用紙10枚くらいになるんだろうけども、異世界のんびり農家は、それを四行にしている。

この小説。ずっとこの文体のままである。

(略)

過去、日本最高権威である、某二大文学賞選考の際「建物が『の形をしている。」と書いた作家がいたんだけども
選評者が死体蹴りするほど叩いたことがあった。

”建物が『の形をしているとは何事か。
作家として表現することを放棄している。

このような作品が候補作に選ばれたということ自体、歴史ある文学賞をけなしている。
日本文学の衰退であるとしか言いようがない”

とまでこき下ろされたことがあったんだけど、この「異世界のんびり農家」は、そういう意味では、文学と最も遠いところにあるんだろう。

完全に、日本文学に喧嘩を売っている。いや売っているどころではない。これはもう有罪である。実刑である。いや死刑である。

だって、この作品では、畑をこんな風に表現している。

一文字 50×50メートルぐらいの大きさ。
□□□□□□□□畑畑畑畑○○○○
━建設中━池池□畑◇◇畑○犬○○
━下水路━池池□畑家◇畑○○○○
□□□□□□□□畑畑畑畑○○○○
□□□□□□□□△△△△
□□□□□□□□△新畑△
□□□□□□□□△△△△
□□□□□□□□△△△△
←五キロぐらい向こうに川。

引用:異世界のんびり農家「畑を拡張」内藤騎之介

 

こりゃもう、日本文学衰退どころの話じゃない。だって、小説でいう「地の文」すら放棄しているんだから。
批判するのは簡単だけど、俺は凄いと思う。

ここまで分かりやすくしないと、付いてこなれない読者も多いんだろう。そういう意味で、この作者はスゴイのである。
これほど徹底的に、どんな読者でもわかるように執筆するというのは、ある種才能ですらある。

見れば見るほど、なろう小説スゴイと思う。この表はレボリューションですらある。

いっておくが、この「異世界のんびり農家」は書籍化され、300万部突破。現在14巻まで出ているのだという。
選評者自身でさえも、これほどのヒットを飛ばしていない人だっている。この図を書いた作者に、収入で負けているわけだ。

ということは、日本文学は死んだ!と言っているご本人らのほうが、実はレミングスの群れということだって、商業的にはあるではないか。
売上部数というのは残酷である。「異世界のんびり農家のほうが時代を掴んでいる」と言われたらどうだろうか。
日本最高の二大文学賞は、どうして『の形をした建物という表現を”考えていることを放棄している”と指摘できるのだろう。
それは老害の意見なのである。

『の形をした建物という表現くらいは、もはや許される時代なのだ。

そもそも、日本最高権威の二大文学賞—まぁ言ってしまえば芥川、直木賞なんであるが、その候補作に選ばれるほどの作品というのは、
文学的に優れていない訳がない。傑作揃いなわけだ。

ここまで選ばれた作家ならば、建物の形を描写することなんて当然できる。それをあえて、『と表現したのは、時代を読んで書いたのである。
小説における描写(地の文)というのは、時代によって説明を省いていくというのが当然のトレンドなんだけど、
これは作家が分かってやっている。それを文学の衰退だ!といっている選評者は、ただの時代遅れなのだ。

そういう意味でも、この異世界のんびり農家は、かなり深い。途中からハーレムものになるんだけど、ただでさえ手抜き表現なのが、
一層手抜きに磨きがかかっている。それでいて、読者に想像させるという、斬新すぎる表現を使っている。

異世界転生小説は、小説ではなく日記のように書くのがコツだというが、この「小説」は、その見本だ。
つまり日本語を読める程度の人なら大丈夫という、広すぎる裾野で売れているわけだ。確かに読んでいて、苦痛が無い文体である。
これをやられたら、地の文がああだこうだという、いわゆる文学なんてのは消し飛んでしまう。

なろう系をちょっと読んでみたんだけど、本当にいろいろ考えさせられた。
チョロく書けるようで、絶対に書けない。ある意味、素でバカでないと書けない。
このあたりは(ないと思うが需要があれば)また書きたいと思う。

 

さて、前置きが長すぎた。表題に戻ろうか。

駐在転生 ~赴任したら本気出す~

この異世界転生というのは、実は日本からフィリピンに来るのと似ている。
「日本ではバカにされた俺だけど、フィリピンに来たら俺TUEEEE」というのは、割と良くある。
差別的なことをいうわけではないが、フィリピンには、そう思わせる土壌が確かに存在している。

・愛(金)さえあれば歳の差関係ないという恋愛至上主義
・異性は年上が良いという価値観
・混血児を求める価値観
・日本ではチビでもフィリピンだと平均以上
・外国人というだけで社会的カースト上位

等々、書ききれないほどある。
上記に眉をしかめる人もいるであろうが、これは住んでいれば一度は体験できることでもある。
パッと5つほど書いたけど、これを完全否定できるひとっていないんじゃないかな?事実そうなんだから。

確かにフィリピンに来るだけで「冴えない私でもとっかえひっかえ彼氏や彼女が出来てどうしましょう?」
という体験だって、まんざら不可能じゃない。少なくともハードルは低い。

比に来ると、別にマウントを取る気持ちはこれっぽちも無いとしても、相対的に自分が上になるという経験は
必ず出てくる。普段劣等感を覚えている日本人にとっては、少なからず衝撃にもなるのだ。
(だって日本(本国)は、頭のイイ人が多すぎるのである!)

本国社員系駐在の人が一番顕著に思う感想だろうと思う。

コッチにくると、周囲の能力が低いために相対的にデキる人となり、異性も仕事も絶好調となった結果自信も生まれ、
語学も伸びて、帰るころには別人のようになっちゃうこともある。飛ばされてきたひとはナオサラだ。
一種のショック療法なのだ。

(なお「無能が海外駐在を命じられることなんかねぇよ」とおもう人もいるかも知れないが、現実には結構命じられている)

相違点

異世界転生というのは、自分のことをまったく知らない世界で無双する話である。
そんなことは現実ではあり得ない。

「なろう小説」のように、都合よくはいかない・・・わけなんだけども、海外というのは現実の上での「異世界転生」である。

フィリピンに住んでいるひとは、会社のひとでもなければ、あなたのことを間違いなく知らない。
煩わしい日本の人間関係をリセットしたい!という願望があるなら、やはり海外というのは現実として有り得る。

フィリピンはイメージだけは良くないけど、差し迫って「英語で何とかなる」というのと、ある程度日本人が住んでいるという
メリットがある。距離が近いというのも見過ごせない。日本のようなピラミッド的社会構造も緩い。
(同じ日本人同士であっても『それがイヤで住んでいる人』はかなり多いので気が合うのだ)

医者や弁護士といった、日本で社会的地位の高いひとも、マニラに来たら先生先生と呼ばれないのが、とても心地いいのだという。
日本での肩書と、海外で生きるスキルは比例しないからだ。(もっとも、そういう人はそれなりの敬意を払われるけど)

こっちでは、前科があるクラスの人もゴロゴロいるけど、あっそうフーンでスルーされることだってある。
なにせマニラだ。その程度の賞罰より、今なにができるの?ということが重要視されたりする。
日本で問題となることが、海外では問題とならない(もちろん何の問題もないほうがいいんだけど)という点に限れば、マニラは大いにアリである。

そういう意味では、マニラは現実的な異世界転生という場所でもあるんじゃないかな。
日本人が絶対的に少ないので、使えるヤツなら採用しちゃおうと判断する会社も多い。これだけでもマニラ転生アリである。

以前書いたけど、学歴詐称カード云々というのも、日本人不足という面が大きい。

現実の世界で生きている私たちは、本当は異世界転生できないわけなんだけど、人生もうイヤ!転生したい!と思う人は、
日本で首吊ったりする前に、ちょっとセブやマニラに来てみてはいかがだろうか。

ルフィ一味じゃないけど、海外にいる日本人って、日本になじめずに海外で働いている人というのは凄く多い。
むしろ「日本で絶好調でしたけどマニラにいま~す」なんて人のほうが少ないかも知れない。

始業の30分前に会社について、タイムカードは定時で押せ!なんて会社にいるひとは、日本でストレスなわけだ。
それも毎日?フィリピンでは考えられない。(日系企業であっても、海外ではそんなことはしない)

”マニラ転生 ~ブラック企業に勤めていた俺が海外最強スキルを身に付けたら退職先の元請になっちゃいましたけど何か?~”

これやってみてほしい。実際、それに近い話は聞いたことがある。

”セブ転生 ~セックスレスのゴミ旦那捨てて離婚教育移住したら、子供がチートスキル身に付けて若イケメン連れてきちゃんで闇落ちしていいですか?~”

でもいい。この手の話って、かなり聞くし、当人は人生大正解!となっているんで「じゃあ良かろう」なのである。
異世界転生は現実無理だけど、フィリピンは、それに近いことができる国なんじゃないかな。

 

知らんけど。