フィリピンでは野村より星野?

2023年3月。WBC東京ラウンドをやっているのだ。先日は日本が韓国、チェコを破って、マニラ在住者も拍手を送ったところだ。
わたしは大注目のチェコ戦を自宅で観戦できず、悶々としていたので、代償にやきうのyoutubeなんかを見てビールを飲んでいた。

ソファに寝っ転がってボーっとテレビを眺めていた。youtubeは勝手に関連動画を再生してくれる。
わたしはマウスにも触らず、酒のアテに動画を眺めていたんだけど・・・

野村監督の阪神退任動画をというのを見て跳ね起きてしまった。なんだこれ!である。
これは・・・ただの野球の話じゃないぞ?と、酔いが醒めてしまったほどだ。
関連動画を見れば見るほど、凄く深い話だ。
これってフィリピンにも当てはまるよなぁ~・・・と、独り感じ入ってしまった。
今日もサンミゲルを友として、野球から見るフィリピンマネジメント論。題してフィリピンでは野村より星野?を書こうと思う。

野村さんの退任の話が凄かった

野球人としての野村監督の実績は、わたしが書くまでもないだろう。監督としても選手としても超一流。
ほとんど天上人みたいなひとである。

彼は1998年に阪神の監督に就任するんだけど、結果は三年連続最下位だった。
名将野村は、阪神では全くのダメ監督だったわけだ。
この頃の独白として、野村監督は、非常に重い言葉を言っている。

いわく「阪神の選手を大人として扱ったのが失敗だった」というのだ。

「阪神の選手を大人として扱ったのが失敗だった」

深い言葉だ。

凄い覚悟のある言葉だと思う。文章で、こうして読むと陳腐になるけど、現実になかなか言える言葉ではない。

野村監督という人は「野球選手は頭を使え」という持論があり、自学自習しながら理論的に野球の成績を上げていけば、
結果としてチームを優勝に導くことができるという考えのひとだ。

その野村さんの考えを阪神に持ち込んだところ・・・まったく通用しなかった。
音に聞こえた野村理論は、阪神の選手にスルーされてしまったのであった。酷い話である。
いくら野村監督が親身に言っても、阪神の選手は言うことを聞かなかったのだ。
うーん。どっかの国の従業員と似ている!w

結果。3年連続最下位という成績に終わってしまった。
あの野村監督が、予算と人気を背にして指揮した結果がコレであった。

 

野村監督は、社会の大前提として、選手の人格を重んじた上で、理論と大局観で野球をするひとだった。
それは「どんなに負けても許される。毎年なぜか必ず大人気」という阪神タイガース所属の選手とは、まったく相容れないのであった。

 

「阪神の選手を大人として扱ったのが失敗だった」

もう一度繰り返そう。
部下を「大人として、野球人として扱ったのが間違いだった」と言っているのである。言えるものではない。
普通、こんなことは、思っても胸に秘めておくものである。野村ボヤキ節の真骨頂だと思う。

策士策に溺れるというか、笛吹けども踊らずと言おうか。トップがいくら優秀でも、部下が全く言うことをきかなければ
作戦は失敗になるということだ。

阪神タイガースの選手は、あの野村克也がいう言葉を話半分に聞いて遊んでいたわけだ。
そりゃあ勝てるわけがない。

 

星野仙一監督

この後、阪神を追われた野村監督はシダックスに行き、闘将星野監督が就任する。
ご存じの通り、星野監督というのはコテコテの昭和脳。鉄拳制裁エピソードには事欠かない。
(あの時代でも、殴りすぎて刑事告発されたほどである)

星野監督の「俺についてこい」指導は、選手にピッタリハマって阪神は蘇り、なんと優勝してしまう。
選手に考えさせず、俺の言う通りにやればいいんだ分かったか!という『専制政治』こそ、
阪神に必要なことだったのだ。

現代でいえば、まるで、善が負けて悪が勝ったような話である。

マニラ駐在員は「野村型」が多い

さて、いよいよフィリピンが出てくる。

わたしも駐在員の方とは、親しくお酒を呑んだりして親交があるんだけど、ビジネスの上では悩みが尽きないようだ。
特に悩みの深い人は、だいたい野村型の人だとおもう。

マニラに来る駐在員のひとって、そこそこ優秀で、語学も頑張ってて、海外赴任も自らのキャリア形成くらいに思っている人が多いので、
本国ではそれなりの評価を得ている人々だ。マニラに住んでいる根っからの日本人とは、話す話題もレベルも違う。

凄いなぁとは思うんだけど、駐在の人は野村型が多い。

フィリピン人もひとりの人材として、わが社の社員として認め、現地採用者を橋渡しとして、共に力を合わせて発展させていく—-
こんな考えの人がほとんど全員だ。

でも、それってどうなのよ。マニラ近郊の工場で、タフにビジネスをしている日本人って、野村型ではなくて
星野型、または個人主義に徹した落合型のマネジメントをしている人のほうが本社からも評価が高い傾向にある。

機嫌が良ければどこまでも調子に乗り、歌と踊りとボーナスで業績を上げていくフィリピン流にあって、
「個人個人が全体を見て知を共有しあう」なんてのは夢物語に近い。第一短期で結果が出ない。

比人や現地採用と『一緒にやっていく』ではなくて、強権型に『俺のやりたいことはこれだ!』という方針のほうが、
フィリピンには合っているように思える。
一緒にやっていこうなんて言葉。言ったら最後フィリピン人はどこまでもつけあがるだけだ。

野村型を追及したらどうなるか

この野村型をフィリピンでやり続けた会社を知っている。
この会社の責任者は、メイドやドライバーも個々として尊重し、家族のように接していた。

移動中はドライバーにも積極的に話しかけ、なぜこれからマカティに行くのか。誰と会うのか。
それがどうして会社に必要なのかということを全部説明していた。それが全体の底上げになると信じていた。
メイドにも工場を見学させ、商品のロスが出なくなるにはどうしたらいいか?なんてことを考えさせていた。

結果どうなったか。

ドライバーは「そんなに儲かってるなら給料あげろ」とストライキをして、勝ち取った給与で飲食店を開業し、
それが失敗すると会社に借金まで申し込んできたのである。

なおこの会社は借金の申し入れを受け入れた上で、円満に和解する道を選んだ。
最後は会社の車までドライバーに取られてしまった。

このくらいの話なら、日系企業なら、ままある話である。どうしてそうなってしまうのか?

つまり野村型マネジメントというのは、ある程度優秀な人たちならば大いに通用するし武器となるけども、
これは諸刃の剣であって、馬鹿に対して使うと自分の身が切られる手法なのだ。

自分で考えさせ、それを全体に昇華させることで組織を強くする。これは一見もっともらしい。
誰が聞いても頷く、耳障りのよい組織論だけど、阪神タイガースとフィリピンでは通用しないんじゃないだろうか?
正しくいえば、野村型はまだ早いとも言えるだろう。

わたしは、個人の業績だけを最大化させる落合型(落合博満)が、もっともフィリピンに合っていると思う。
星野型だと「恨みを買ってはいけない」というフィリピンの掟に背くので、第一やりたくてもやれない事情もある。

 

(お断り)

この話はもっと複雑で、当時阪神球団や野村さんがどのように考えていたのかというのは、もっと沢山情報があります。
筆者の言いたいことは野球解説ではありませんので、そのあたりの事情は割愛させてもらいました。
概要だけですから、特に野球好きの方には異論もあると思いますが、記事として長くなるのでそのまま掲載しています。